太古の昔から日本の王であり続けた存在
当然、国民の間にも「黒船が攻めてきたら自分たちの国を守らなければならない」という発想はありません。明治政府は国際社会の中で日本の独立を維持するために、大急ぎで近代的な軍隊をつくり、国家としての制度を整える必要に迫られました。そこで西欧の強国に倣い、「太古の昔から日本の王であり続けた存在」として、天皇を国家の頂点に戴くことにしたのです。
とはいえ、天皇家が「神武天皇から2600年間続いた万世一系の王朝である」という神話が実証的な史実でないことは、明治政府のエリートたちも気づいていました。たとえば陸軍軍医総監や帝室博物館総長・図書頭を歴任した森鴎外は、その生涯の最後に「完璧な元号」をつくるための仕事に取り組みます。
その仕事『元号考』は未完となり、鴎外自身は志半ばで世を去るのですが、国民国家に向き合う彼の気持ちは明治45(1912)年の小説『かのやうに』の中に吐露されています。鴎外は登場人物に次のように言わせました。
「祖先の霊があるかのように背後(うしろ)を顧みて、祖先崇拝をして、義務があるかのように、徳義の道を踏んで、前途に光明を見て進んで行く。(中略)どうしても、かのようにを尊敬する、僕の立場より外に、立場はない」(引用文は現代仮名遣いに改めました=編集部)
神話にもとづく日本の歴史は、実証的・科学的な意味での歴史ではない、と洋行帰りの主人公は考えます。しかしそれを否定してしまえば、生まれたての国民国家・日本の屋台骨を揺るがすことになりかねない。それを防ぐには、虚構を含めすべての儀礼を真実である「かのように」扱わなければならない、と決意するのです。
もちろん元号に関しても同様で、国民国家・日本の統合を保つには、「天皇を始祖とする日本国」「太古から続く元号」という明治国家の建前を厳正に守る必要がある。もしその点をいい加減にしてしまえば、日本を支えるすべての体系が崩れ去ってしまうおそれがある。エリートとして国家への責任感を抱いていた鴎外には、そういう強い危機意識がありました。
ところで、国家統合の最大のシンボルはなぜ天皇だったのでしょうか。
国家には「王」が必要です。それは日本以外の近代国家でも変わりません。たとえば欧州にはイギリスやオランダをはじめ、国王を戴いている立憲君主国が少なくありません。それどころか、王様のいないアメリカでは大統領が「王」の役割を果たしていると見ることもできるのです。
アメリカで現在のような4年に1度の大統領選挙のシステムが定着したのは、成人男性の4人に1人が戦死したとされる悲惨な内戦、南北戦争の後からです。以後のアメリカでは、内戦の代わりに4年ごとに国が真っ2つに分かれる選挙戦を行い、そこで民衆から選ばれた(王としての正統性を得た)大統領のもとで国家を運営します。大統領就任式では必ず、大統領本人が聖書を手に神に対する宣誓を行いますが、あの儀式は「内戦の終了」の宣言であるとともに、「王」としての強大な権力を持つことの正統性を、神から付託されたという宣言なのです。