アメリカのような人工的につくられた民主主義国家であっても、統治者の正統性を国民すべてに納得させるには、単に選挙で決まりましたというだけではなく、神に誓う「儀式」が必要となるのです。このことは、儀式・儀礼・祭事というものの人類史的な意味合いを我々に教えてくれます。

なぜ陛下は五輪の前に退位されるか

僕たち日本人も、家を建てるときには地鎮祭を行い、結婚式ではクリスチャンでもないのに神父の前で愛を誓い、葬式では意味のわからない僧侶の読経を聞いています。大阪・岸和田の「だんじり」や福岡・博多の「山笠」など、各地で行われている祭礼には「その日のために1年間がんばって働いている」と言い切る大勢の人々が集います。

天皇の影法師』や『ミカドの肖像』をはじめとする猪瀬直樹氏の著作群。

いずれも近代合理主義的な考え方からは「意味がない」と切り捨てられるかもしれない行為です。しかし我々は、そのような儀式・儀礼を行わなければ、どうにも落ち着きません。むしろ、そのような儀式・儀礼を行うために日々働き、生きているとさえ言えるのです。

その事情は国にとっても同じです。僕が東京都知事のときに、2020年東京オリンピック・パラリンピック(東京五輪)の招致を勝ち取りました。開催が決定した後、一部の人から「たった2週間の五輪に巨額の予算を費やすのは無駄ではないか」と批判を受けましたが、僕はそれを聞いて「人間というものがまったくわかっていないな」と寂しい思いがしました。

五輪とは近代国家にとって最大の「祝祭」です。2週間の五輪開催が決まったことで、日本全体に「五輪を成功させる」という目標ができた。国家レベルでも個人レベルでも、その日を楽しみに、がんばって生きていこうという「祝祭空間」が生まれた。祝祭空間はいわば腐蝕した時間を燃やす、更新する機能を担っているのです。半世紀ぶりの巨大な祝祭によって、この国はもう1度生まれ変わることができる。それが五輪開催の意味なのです。

実は天皇陛下が今、このタイミングで退位をされるのも、東京五輪と無関係ではないと僕は感じています。陛下は85歳とご高齢です。万が一、五輪の直前に健康上の問題が起きたとしたらどうでしょう。昭和天皇の崩御から今上陛下の即位までの期間は約1年ありました。その間、日本全体が喪に服していました。そうした事情をのみ込んだうえでの「退位」のご決意だったのではないかと思うのです。

国にとって、社会にとって、個人にとって、近代合理主義では割り切れない儀式や儀礼は必要です。天皇陛下の譲位や東京五輪の開催といった儀礼・儀式の続く今、僕たちはそのことをよく思い返してみるべきなのです。

猪瀬直樹
作家
大阪府・市特別顧問。1946年、長野県生まれ。『ミカドの肖像』で大宅賞、『日本国の研究』で文藝春秋読者賞を受賞。道路関係四公団民営化推進委員会委員や東京都副知事、知事を歴任。
(構成=大越 裕 撮影=遠藤素子 写真=AP/AFLO、読売新聞/AFLO、毎日新聞社/AFLO)
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