国民国家の成立で、必要になったこと

およそ30年続いた「平成」が終わり、5月1日から新元号「令和」のもとで新しい御世が始まります。その後、新しい陛下の即位礼、大嘗祭などさまざまな宮中儀式が何カ月にもわたり執り行われます。現代の民主主義国家である日本において、少々時代遅れにも映るそうした儀式はなぜ行われ、なぜ我々国民はそれが大切だと感じるのか。そのことを考えてみたいと思います。

即位礼「正殿の儀」に臨む天皇陛下(平成2年11月)。(AP/AFLO=写真)

僕は36歳のときに『天皇の影法師』という作品で作家としてデビューしました。大正から昭和へと元号が変わるときに何が起きたかを、膨大な資料と当時存命だった多数の関係者へのヒヤリングにより描き出し、近代天皇制の成立の深淵に迫ることを目指した一冊です。本作をはじめ『ミカドの肖像』など天皇と日本国をテーマとする一連の作品を書く中で改めて気づかされたのは、明治以降の天皇とは、日本が国民国家へと生まれ変わるために必要とされた最大の「シンボル」だったということです。

国民国家とは、その国に所属意識を持つ「国民」を成員とし、一定の領土を保有する国のことを呼びます。その歴史は意外に新しく、18世紀後半に起きたアメリカ独立戦争とフランス革命に始まり、ドイツとイタリアがそれぞれ統一されて新しい国家が樹立したのは、ようやく19世紀後半になってからのことです。

それ以前の西欧諸国のほとんどは、絶対王政によって中央集権化が進んでいたとはいっても、民衆には中世の封建制以来の地元意識のほうが根強く、広大なフランスやドイツの「国民」と考えるよりは、目に見える範囲の村や町といった小さな地域に帰属意識を持つのが当たり前でした。江戸時代までの日本も同じようなものでした。

日本が近代的な国民国家になるのは、明治政府が成立してからです。それ以前の幕藩体制とは、中央に江戸幕府が存在したとはいえ、現実には日本全土を約300に分割して諸大名が統治する分権型の国でした。そこで生きる人々は、今の都道府県よりも遥かに小さな単位の、ほとんど肉眼で見渡せるほどの空間を「おらが国」と認識し、日々の暮らしを送っていたのです。

そこへ否応なしの変革を迫ったのが、嘉永6(1853)年の黒船来航です。アメリカ海軍のペリー提督が4隻の軍艦で浦賀沖にやってきたことを契機に、日本は欧米列強の植民地化を回避するべく、国民国家へと急激に脱皮していきます。

そのために明治政府が進めたのが、人々の国家に対するイメージの変換です。それぞれの「おらが国」に帰属意識を感じていた国民に対して、新たに「日本という国民国家の一員である」という意識を植えつけなければならない。そのために明治政府はさまざまな手を打つのです。