このような事態を避けるにはどうするか。中国をはじめとする社会主義国家が採った方法は、「法律に規定があっても、市民を刺激しないよう、現場の判断による無理やりな解釈を許容する」ことであった。

具体的に説明してみよう。例えば、無許可営業のタクシーは中国の法律で禁止されている。しかし、他に収入源もなく、タクシーで売り上げを上げないと生活できない人々もいる。ならば、無許可タクシーを事実上黙認しようというというのが、中国における法運用の流儀である。

特に最近では、無許可タクシーであっても税金を納めていれば特に取り締まらないといった、「実務的」取り扱いがなされることもある。こうした現場での判断に基づく法運用がかなりの頻度で見られるため、中国では「法に予測可能性がない」ということがしばしばいわれるのである。

最適化の結果としてのビジネスモデルの違い

このような日中それぞれの法運用のあり方を見ると、先に述べたビジネスモデルの違いというのも納得がいくのではないだろうか。つまり、中国では法に予測可能性がなく、新しいビジネスを起こそうとしたとき、そのビジネスが国家による規制の対象になるのか、それとも問題なく展開できるのかは、当局の現場の判断でコロコロ変わるためよく分からないのだ。

このような社会でビジネスを行うならば、「取りあえずやってみる。そして、予期せぬ規制が当局によってなされたら、違う方法をそのとき考える」という方法が最も適していることは言うまでもない。規制されるかされないかを、事前に予想できないなら当然のことだ。

一方、日本では一応、法に予測可能性があるため、どのようなビジネスなら規制されないか、逆にどのようなビジネスならアウトかは、事前にほぼ明確に分かる。当局の規制の対象にならないことを事前に担保できるなら、ユーザーの反応や売り上げ予測などを十分リサーチして、失敗しないと確信が持てたビジネスのみを行ったほうが効率がいい。予測可能性が高い日本の「法治」の下では、「事前計画を入念に作りこみ、うまくいくと確信が持てたときにようやく動き出す」ビジネスモデルが重要視されるのは当然のことであろう。