医師の価値観に沿った判断へ誘導する恐れ
一連の報道によれば、この病院の腎臓病総合医療センターを受診した患者は2018年3月までの5年間に約150人おり、そのうち約20人が人工透析を行わない「非導入」を選択していたという。さらに人工透析を中止する「離脱」の患者も数人いたようだ。
公立福生病院の透析中止問題は、毎日新聞のスクープだった。初報は3月7日で、3月9日には社説のテーマにもしている。
その社説は「苦しい闘病を続ける患者には治療をやめたくなるときがある。それを医師や家族はどう受け止めるのか。難問が突きつけられている」と書き出している。見出しは「患者の意思は尊ばれたか」である。
「医師側は複数の選択肢を示し、治療をやめると死につながることも説明したと主張する。女性は治療中止の意思確認書に署名している。表面的にはインフォームドコンセント(十分な説明に基づく同意)を得ているように見える」
「ただ、精神的に追い詰められる患者の気持ちが二転三転することは珍しくない。正常な判断ができない状態の患者に医師の言葉が影響を及ぼし、結果として患者の本意より医師の価値観に沿った判断へ誘導してしまうことは十分にある」
終末期だが腎臓移植という道も残されている
公立福生病院の行為は、毎日社説が指摘するように「表面的なインフォームドコンセント」でしかなく、しかも一方的に「医師の価値観に沿った判断」へと誘導している。これはもはや患者中心の医療などではなく、医師や病院の押し付け以外の何ものでもない。
さらに毎日社説はこう指摘する。
「厚生労働省が昨年改定した終末期医療のガイドラインは患者と家族、医師らが継続的に何度も治療方針を話し合うことを求めた。医師だけでなく、介護職員も患者の意思を確認するチームに加えることを定めた」
いかなる治療を行おうと、死が避けられないというのであれば、透析治療を中止して亡くなった女性患者は終末期にあったことになる。しかし治療方法は残されていた。人工透析の再開である。再開していれば、命を落とすことはなかったはずだ。
しかも透析患者には腎臓移植という道も残されている。そのことを病院側はきちんと説明していたのだろうか。