医学界の考え方と大きくかけ離れている

公立福生病院は終末期医療を誤解しているようだが、いまの社会では終末期医療の在り方が大きく問われている。

日本社会は世界でもまれな高齢化に直面し、「人生100年時代」とまでいわれる。長寿社会では老いや病気の問題、命の在り方など深い考察が求められる。延命治療を受けるのか、それとも拒否するのか。だれもが最後にたどり着く終末期と死について正しく認識し、終末期の過ごし方を決めておくことが求められる。

死が迫る終末期において、延命治療を中止し、自然な死を迎える方法もある。「尊厳死」と呼ばれる死である。

尊厳死は医学界で常識である。日本老齢医学会は2012年に「胃ろう」を止めるための指針をまとめ、日本救急医学会も2007年に一定の条件下でのレスピレーター(人工呼吸器)などの生命維持装置の取り外しを提言している。

今回の公立福生病院の事件は、こうした医学界の考え方と大きくかけ離れている。病院が終末期医療や尊厳死の在り方を自分勝手に、都合よく判断した結果、透析患者の命を奪ってしまったのではないだろうか。沙鴎一歩はそう考える。

1995年の安楽死事件では医師の殺人罪が確定

尊厳死と混同されがちなものとして、「安楽死」という言葉がある。

1995年3月、横浜地裁が東海大安楽死事件の判決で安楽死の3つのタイプ(積極的安楽死、間接的安楽死、消極的安楽死)を示している。東海大安楽死事件とは、東海大付属病院で末期がんの患者に医師が塩化カリウムを注射して死亡させた事件で、安楽死の問題が初めて司法の場で大きく問われた。判決後、医師の殺人罪(執行猶予付き)が確定している。

判決によると、積極的安楽死は苦痛から患者を解放するために意図的かつ積極的に死を招く医療的措置を行うことだ。これに対し、消極的安楽死は患者の苦しみを長引かせないために延命治療を中止して死期を早めることで、間接的安楽死は苦痛の除去を目的とする適正な治療行為ではあるが、結果的に生命の短縮が生じるとしている。

現在、積極的安楽死を安楽死とみなし、消極的安楽死と間接的安楽死を尊厳死とするのが一般的である。