家業が消えると街の個性も消える
日本各地のさまざまな街角を歩いていると、多くの商店街がシャッター通りと化しています。かつて多くの商店街に賑わいと彩りを与えていたのは、家業のお店でした。しかし、いつの間にか、店舗の建物はマンションに変わり、倉庫に変わり、人通りが途絶えた商店街が増えているのです。
どうして、このようになってしまったのだろうと思います。家業が消えていくということは、街の個性が少しずつ消えていくことです。
平八茶屋のような料理屋もまた家業です。家業でなければ何百年も続けることは難しかったのではないかと思います。
料理屋における家業とは、主人、息子が調理場に立ち、女将、若女将がお客様を接待する。この基本型を何人かの従業員が支える経営のことです。これならば、どんな時代になろうとも半永久的に店を続けられるのです。この経営の強みをいま一度、家業を営む多くの方々に再認識していただきたいと思います。
平八茶屋の当主は、経営をし、料理人として調理場に立つという二刀流が求められます。どちらも追求することが求められる精進の人生です。家業を継承して、繁栄させるには、料理人としての修業がどうしても必要になります。しかし、この修業の時期こそが、家業を継ぐ者の自覚を深めていく大切な時間だと思います。
後継者は「店の中で育てる」という哲学
「後継者をどうするか」は、京都の老舗料理屋だけの問題ではなくなりました。継がない後継者候補が増えていて、もはや社会問題化しつつあります。それほど深刻な状況になっているのです。私は料理屋のことしか知りませんが、後継者を育てるということは「店の中で育てる」ことだというのが、私の哲学です。
後継者には遺伝子が必要です。しかし、それだけではだめなのです。先にも触れましたが、育つ環境がなければなりません。遺伝子を持った人間がその環境にいること、これが大切なのです。
後継者をつくることで、家業は続いていきます。家業は駅伝と同じなのです。私は20人目のランナーとして、父親まで続いた19人のランナーたちが受け継いできた襷を受け取り、走り続けてきました。決して楽に走ってきたわけではありません。それこそ全力でフウフウ言いながら、あらゆる困難があり、それを克服して、21代目に襷を渡しました。私の中で、最大のミッションでした。
ランナーの役目は責任を持って己の区間を走りきることですが、この駅伝にはゴールがありません。だからこそ、尊いように思うのです。このようにして、平八茶屋440年の歴史はなお続きます。現在、21人目のランナーが全力疾走をしています。
山ばな平八茶屋・取締役会長
昭和23(1948)年京都市生まれ。立命館大学経済学部中退。440年以上続く老舗料理屋「山ばな 平八茶屋」の20代目として、創業以来の伝承料理「麦飯とろろ汁」をはじめ、新しい試みで蘇ったぐじを主体とする「若狭懐石」など、料理の継承と変革に尽力する。地産地消にこだわり、若狭ぐじと地元で取れる京野菜を中心に使い、京料理の素材の味を忠実に具現化。「時代に迎合しない、しかし時代に必要とされる料理」を目指す。平成28(2016)年に、厚生労働省が主催する「現代の名工」に表彰される。現在は、山ばな平八茶屋・取締役会長、京都料理組合長(平成31年3月末まで)。