「残業時間が長くなると幸福感は少しずつ下がるのが一般的だが、月60時間を超えると健康リスクは高まるのに、逆に幸福感は微増する。残業には『ランナーズハイ』のような側面がある」。立教大学の中原淳教授らの調査の結果、驚きの事実が明らかになった。私たちは「残業」とどう付き合うべきなのか。中原教授に聞いた――。(聞き手・構成=的場容子)
立教大学経営学部の中原淳教授(撮影=プレジデントオンライン編集部)

残業時間が60時間を超えると、幸福感が微増に転じる

立教大学経営学部の中原淳教授は、「大人の学びを科学する」をテーマに、企業・組織における人材開発・リーダーシップ開発に関する研究を行っている。2017年、人材派遣会社パーソルグループの研究機関であるパーソル総合研究所とともに「希望の残業学」プロジェクトを起ち上げ、日本企業にはびこる長時間労働をめぐる様々な問題を分析、研究。約2万人を対象に調査を行い、得られた成果を『残業学 明日からどう働くか、どう働いてもらうのか?』(光文社新書)にまとめた。

――「希望の残業学」の研究成果は、2018年2月に発表され、さまざまなメディアでも報道されました。どのような反応がありましたか?

反響は大きかったですね。まず今回の研究は、僕とパーソル総合研究所で行った2万5千人を対象とした調査に基づいているのですが、これだけの規模で残業や長時間労働という問題を調査・分析したことは、過去にはありませんでした。さらに、残業や長時間労働が起こるメカニズムや、それらが引き起こすリスクの問題、さらにその先にある未来を論じたものはなかったこともあり、注目していただけたのはとても嬉しかったです。

研究では「月に残業時間60時間未満の層では主観的な幸福感がどんどん下がっていくけれど、60時間を超えたところで、逆に幸福感は微増に転じる」ことを明らかにし、この現象を「残業麻痺」と定義しました。この特異な「微増」のパターンについては、今までに少なくとも3つの先行研究でも明らかになっていたのですが、それらでは誤差として処理されるか、「理由は不明」として解明されていませんでした。それを、今回の研究では「フロー(flow)」という概念を用いて説明しました。

「フロー」に入ることで残業でも幸福感を感じてしまう

――「フロー」とは、どのような状態を指すのでしょうか。

アメリカの心理学者ミハイ・チクセントミハイが提唱した概念で、簡単に言うと「人がある行為に完全に集中し、浸っている体験・心理状態」のことです。端的にいえば「ランナーズハイ」ですね。スポーツの領域では、選手が極度の集中状態にあり、他者や自我すら忘れてしまうことを「ゾーン」とも呼びます。こうした心理状態をイメージしていただけるとわかりやすいと思います。

残業時間が長くなることで仕事に没入して「フロー」状態になり、かつ「仕事がうまくいっている」「自分の思い通りにすすめている」という「自信」が高まることで、妙な自己向上感を感じてしまう。つまり「認知の歪み」が発生し、これらが「残業麻痺」に関係しているということがわかりました。残業が長くなることで「幸福だ」と思ってしまうのだけれど、一方で健康やメンタルへのリスクはどんどん増してしまうのです。

この研究結果をもって、僕は「長時間労働は危険だからただちにやめてください」と伝えたかったし、そう言ったつもりです。しかし、一部からは反対の意味にとられてしまって「長時間労働をやれば幸せになるなんて、何を言っているんだ!」とお叱りの声もありました。わたしどもの主張と「全く逆の意味」に誤解されてしまったのです。このことは残念なことでした。