長時間労働のリスクと、残業が増殖するメカニズム

長時間労働は、言うまでもなく病気やメンタルの危機を引き起こします。また人材開発の観点から考えると、長い仕事人生の中で、フィードバックを受けたり学び直したりする時間を奪ってしまいます。超高齢化社会に突入して年金受給開始年齢が引き上げられるなど、70代や80代まで働かなければいけない時代に入っているのに、たとえば新卒で入社した22の年から学び直す時間がないままで40年以上仕事し続けるというのは、無理があります。

だから、長時間労働は抑制しなければならないし、それは、長い目でみれば働く本人にとってプラスになる、と改めて伝えたいです。

――『残業学』では、「残業麻痺」にとどまらず、残業の「集中」に「感染」、そして「遺伝」など衝撃なワードが登場しますが、どれも日本に染み付いている長時間労働のメカニズムを端的に表しています。

わたしは研究を立ち上げるにあたり、綿密な取材を行い、現場の肌感覚(ハダカン)を徹底的に調査します。地に足をつけた研究がしたい、というのがわたしの願いです。長時間労働のメカニズムを説明する「集中」「感染」「遺伝」といったメカニズムは、そうした現場のハダカンから概念化され、調査を通じて検証されました。誰もがうすうす「気づいて」はいるけれど、いまだ「言葉」になっていないことを、言葉にして、それを人々の目の前にご提供する。そのことで、世の中に「対話」を生み出し、世の中の変化につなげることが、わたしの研究の特徴です。

ここで、それらの言葉の意味するところを説明します。まず今回の研究では、仕事は「仕事のできる人」に「集中」するということが明らかになりました(図表1)。

実務をしている人からすると当然かもしれませんが、調査では「優秀な部下に優先して仕事を割り振っている」という上司が過半数を超えました。実態としても、能力の高い従業員に残業が集中しているということを把握できたのは重要なことです。

そして、「感染」という言葉は、職場内の無言のプレッシャーや同調圧力によって残業してしまう現象を表しています(図表2)。

また「遺伝」という言葉では、なにも残業が親から子へと遺伝する、と言っているわけではなく、長時間労働の慣行が「上司から部下に世代間で引き継がれる」ことを言っています。上司の働き方が下の世代に再生産されるんですね。しかも恐ろしいことに、上司が転職して会社が変わっても、部下に残業を多くさせる人は、次の会社でも同じようなマネジメントをする傾向があることがわかりました。

とくに、高度経済成長期、残業が当たり前の働き方をすることで強烈な成功体験を得た上司たちは、その後の低迷期を経ても、その時代に獲得した経験や価値観をそのまま世代継承してしまうのです(図表3)。

アンラーニングできない「24時間戦えますか」な上司

――たしかに、バブル時代には、栄養ドリンクのCMで使われたキャッチコピー「24時間戦えますか」が流行語になるなど、“企業戦士”として長時間働くことが“カッコいい”と礼賛される風潮がありました。それはある種、残業麻痺が日本という国レベルで起こっていたのかもしれません。

そのようなコピーが成立するような時代に働いて成功体験を得た人たちは、部下にも同じような価値観を強いてしまう。つまり、「長時間残業体質」の上司たちは、「働き方改革」や「長時間労働是正」がこれだけ声高に叫ばれているなかで、本来ならばマネジメントの仕方を変えなければならないのに、それができない。なぜかというと、彼らは環境や時代の変化に合わせた「アンラーニング(学習棄却)」ができていないのです。

調査から、残業習慣は新卒時の残業経験に大きく左右されることがわかりました。それは世代や組織を越えて受け継がれていくので、さらなる「遺伝」を断ち切るには、新卒入社時に時間と効率を意識する習慣を身に着けさせることが鍵となるんです。

――「アンラーニング」はすごく大事であると同時に、新しいことを吸収するよりも難しい作業だと感じました。

難しいですよね。慣行にはやはり成功体験がくっついているし、かつ経験というものは基本的には他者から否定できないものなので、経験に基づいたマネジメント方法を変えていくというのは、困難なことなんです。

たとえば、「私、こんな経験をしたんです」という話に対して、他人が「バカ、それ間違ってるよ!」なんて言えませんよね。「真実か嘘か」ならばイエスかノーはある程度明確に判断できるのですが、人の経験にはイエス・ノーもないんです。それが「アンラーニング」を難しくしています。