夜も眠れないような困難に直面したとき、「名トップ」と呼ばれる人たちは、なにを考え、どう動いてきたのか。「プレジデント」(2017年3月20日号)では、エステー、大和ハウス工業、ポルシェジャパンのトップに、場面別の対処法を聞いた。第2回は「人事で左遷された」について――。
QUESTION
人事で左遷された
大和ハウス工業・大野直竹 社長の答え
自分の気持次第で左遷先は都に!そこでしかできない経験をしよう

慣れ親しんだ地から寝耳に水の転勤

左遷とはちょっとニュアンスが違いますが、自分がまったく意図しないタイミングで会社から転勤の辞令を受けたことがあります。私は最初に配属された静岡支店に17年半いたんですが、十数年経った頃には静岡の地に自分のサラリーマン人生の骨を埋める覚悟でいました。だから静岡に家も買いましたし、地元の人たちともそういうお付き合いをさせてもらっていた。静岡は暖かいですから、コートなんてずっと持たないで生活していました。

写真=iStock.com/metamorworks

そんなある日、当時の上司で取締役特建事業部長だった樋口武男現会長から電話をいただいた。転勤の内示でした。転勤したくないみたいなことも言ったんですけど、サラリーマンですから通るはずがない。

「ひとつ条件を出していいですか。私、寒いところが苦手なんです」と小さな抵抗を試みたら、電話の向こうで「う~ん、あそこは寒いな」って。転勤先は新潟でした。

調べてみたら、当時の新潟支店は伸び悩んでいた。「これから大変だなぁ」って思いながら支店長として赴任したんです。でも新潟の地場の皆さん、企業さんとお付き合いさせていただくと、予想外に楽しいことがいっぱいあった。おかげさまで4年と8カ月、すごく楽しい時間を過ごさせていただきました。どっぷり浸かる、という感じです。後から感じたのは、新潟転勤は会社が私のためにやってくれたことだったということ。「あいつも静岡が随分長くなったから、この辺でもうちょっと活躍の場を与えてやろう」という配慮だったんですね。

「左遷された」というのは当人の受け止め方の問題であって、そこに飛び込んでいく気持ちがあれば「左遷」ではないと思います。我々は全国に83の支社・支店がありますが、地元の人たちと仲良くして、地元の経済になじめば、どこに行っても幸せになれると思う。今でも何人かはお付き合いがありますが、静岡や新潟で出会った人たちには感謝の気持ちしかない。

新入社員が入ってくると、決まって言うことがあるんです。東京とか大阪とか、名古屋とか、大きい店に配属されて自分は幸せだと考えないほうがいいよ、と。

同じフロアにさまざまな部署の人

私が新人のときに静岡支店に配属されてよかったと思うことのひとつは、所帯が小さいから同じフロアにいろいろな仕事をやっている人がいて、接する機会が非常に多かったことです。戸建て住宅の営業をやっている人もいれば、集合住宅の営業の人もいるし、流通店舗の担当もいる。隣で打ち合わせしている声が聞こえてくるわけです。もちろん話の内容はわからないことのほうが多い。そういうときは先輩方や同期の連中に聞いて、今どんなことをやっているのか教えてもらいました。

セクションの垣根を越えて自分の悩みを相談したり、逆に向こうが抱えている問題点やうまくいったこと、失敗したケースなどを教えてもらったりしながら、網羅的に業務を覚えることができた。東京のような大きな店はフロアが違いますから、他部署との会話がそうあるわけじゃない。小さな店、中堅の支店に行ったから経験できることも多々あるんです。

結局17年半、静岡支店にいて、それぞれの営業所や課の成績や状況、「あの時代、こんなやり方で成功した」とか「こういう話の持っていき方でうまくいかなかった」という情報まで自然な形で蓄積できました。