魚嫌いが直った、奇跡の「煮付け」との出合い

【田原】よく辞めなかったですね。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。本連載を収録した『起業家のように考える。』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。

【右田】あるとき、配達先の料理店で、マスターに「まかないにカレイの煮付けをつくったから、ちょっと食べていって」とごちそうになりまして。魚は食べられないと最初は断ったのですが、一口食べたら衝撃を受けるくらいにおいしかった。そこから急に魚に興味が湧いてきて、もっと知りたいなと。

【田原】僕もカレイの煮付けは好きです。おいしいよね。

【右田】ホロホロと身が取れて、口の中で甘さが広がっていくんですよね。あの味はいまでも忘れられないです。

【田原】それからどうしました?

【右田】毎日、お店で余った魚を買って帰って、自分で勉強しながら母親と一緒に料理をするようになりました。一緒につくってみると、母親は煮付けに砂糖もみりんも使わないし、煮干しになるかというくらいに火を入れすぎていることがわかった。どうりでおいしくないはずです(笑)。

【田原】魚の世界に目覚めたのに、鮮魚店は4年で辞めてオーストラリアに行きますね。

【右田】1年目は季節が変わるごとに新しい魚との出合いがあって新鮮でした。2年目も、旬の魚がわかってきたから楽しかった。しかし3~4年目になると「またか」で、新しい発見がなくなった。当時の上司は30歳で年収500万円。このまま同じことを続けて数年後はああなるのかと思うと、将来に希望が持てなくなりました。ちょうどそのころ、友人のお兄さんが中国で貿易の仕事をしているという話を聞いて、「貿易、かっこええな」と、それで23歳で店を辞め、海外に魚の勉強をしにいくことにしました。

【田原】海外もいろいろあるけど、どうしてオーストラリア?

【右田】当時、ワーキングホリデーがあったのは、韓国とカナダ、イギリス、オーストラリア。韓国は近すぎるし、カナダとイギリスは寒い。安易ですけど、残ったのがオーストラリアでした。

【田原】仕事のあてはあったんですか。

【右田】ないです。ただ、以前お世話になった方がシドニーに住んでいたので、まずはそこに2週間住まわせてもらいました。そこから、まずこの国を知ろうとバックパックで3カ月かけて一周しました。日本で50万~100万円くらい貯めていきましたが、一周のチケットが30万円弱。戻ってきたころにはお金も底を尽きかけていたので、街で求人を出していた回転寿司店で働き始めました。