武士道というと、多くの人が新渡戸が1897年に英語で著した『武士道』を思い浮かべるようである。しかし、実際の武士によって自分たちの生き様、進むべき道が著されたものは、宮本武蔵の『五輪書』、柳生宗矩の『兵法家伝書』、山鹿素行の『山鹿語類』などほかにも数多く存在する。そのなかでも「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」との一文で知られるのが『葉隠』であり、かの三島由紀夫が若い頃からその教えに傾倒したことでも有名だ。
『葉隠』は隠居した鍋島藩士の山本常朝の談話を後輩の田代陣基(つらもと)が編纂したもの。むやみに死を美化しているわけではなく、「常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果たすべきなり」という気構えを説いている。さらに「『武道の大意は何と御心得候や。』と問い懸けたる時、言下に答ふる人稀なり」と痛烈な批判を行い、自ら拠って立つべき哲学、規範を持つことの重要性をも訴えている。
その鍋島藩と同じ九州にあった薩摩藩で、肥後藩との国境を守る要衝の地ということもあり、とくに尚武の気風に満ちていたのが出水(いずみ)だ。当時、青少年は「兵児(へこ)」と呼ばれ、グループごとに年長者たちによる「郷中(ごじゅう)教育」というスパルタ教育が行われていた。そのときの掟が「士ハ節義を嗜み申すべく候」から始まる「出水兵児修養掟」であった。
出水出身で2009年4月1日付で三菱電機会長(現・取締役)から独立行政法人・産業技術総合研究所の理事長に就任した野間口有氏は、「40年生まれの私の時代には、もう郷中教育は残っていなかった。しかし、『修養掟』は通っていた高校の講堂など至るところに掲げられていた。そうやって普段目にしていることで、無意識のうちに覚えてしまったのではないか」という。