そんな野間口氏が何かを決断したり心に迷いが生じた際に「修養掟」を思い出し、答えを導き出すようになったのが、研究開発部門のマネジャーになった30代からであった。最先端の研究開発になればなるほど、思いもかけない壁にぶち当たるものである。「そんなとき、『死すべき場を一足も引かず、其心鐵石の如く』と自分に言い聞かせることで、毅然として取り組めるようになった」と野間口氏は振り返る。

30代半ばで大阪に自宅を新築した際には、父親がお祝いとして地元の書家に書いてもらった横1m・縦50cmもの「出水兵児修養掟」の扁額を贈ってくれた。それからは床の間に飾り、毎日朗読した。だからなのだろう、東京での生活に移って直接目にする機会が減ったとはいえ、いまでも野間口氏の口からは「修養掟」の教えが自然と出てくるのだ。

三菱電機時代の野間口氏は「強いものをより強く」という戦略と、それを実行するための「連携」「横展開」という戦術を重視してきた。得意分野であれば知識や知恵が蓄積されている。また、天才が一人で取り組むよりも、凡人100人が力を合わせたほうが大きな成果を得られる可能性が高いからである。その結果、高収益率の企業体質へと転換することに成功することができたのだ。

そしていま、野間口氏は「研究開発-製造-営業-ユーザー」というモノづくりのフローに「品質」という横串を通した「クオリティーチェーン」を確立し、国際競争力をアップしていくことを提唱している。特に産総研のトップでもある野間口氏には、品質向上に欠かせない基礎研究分野での産官学の連携の要という重責が課せられる。その野間口氏の精神的な支柱になっているものは、やはり「修養掟」なのである。

(川本聖哉、山口典利、平地 勲=撮影)