危機のときこそ「ぜいたくは美徳」な理由

この逸話をご存じの読者は多いはずだ。しかし、これが、大恐慌のときに行われたものだということまで知っていた読者は少ないだろう。通常の不況時ではなかったのである。売り上げは半減している。現在の状況よりもはるかに厳しい状況であった。しかも、松下電器は本社と工場を建設したばかり。そのときに、従業員を解雇せず、賃下げもしないという決定をしたのである。大きなリスクテーキングである。

松下氏は、なぜこのような対応ができたのか。もっとも重要な理由と考えられるのは、松下電器にとって不況は一時的でいずれは回復すると考えていたことである。また、発展期にある松下電器は不況が収まれば再び成長軌道に乗ると信じていたからであろう。もう一つの理由として無視できないのは、入院中だったという事実である。私も長期にわたって入院した経験を持つが、病院は一般の人々が考える以上に情報が集まる場所だ。さまざまな人々が見舞いに来てくれて情報を残していってくれる。暇だから新聞を隅から隅まで読むことができる。現場にいると、新聞をゆっくり読む余裕などない。しかし、病院は現場から離れている。鮮度の高い情報は入ってこないが、現場の人とは違う目線から物事を見ることができる。井植氏らの提案は、現場からの発想である。現場の遊休状態、在庫堆積の状態を見れば、人を減らすしかないという判断に傾くのは当然である。

松下氏の逸話は、このような大きな危機のときには、現場主義の対応ではだめだということを暗示している。日本企業の現場主義は強力だ。現場主義は、10年、20年に一度の危機には効果的だが、100年に一度の危機にはそうではない。ケチケチ作戦は、10%前後の需要減への対応方法としては効果的だが、50%を超えるような需要減に対応できるのだろうか。大きな危機のときには、現場から少し離れて、世の中で起こっていることを冷静に眺めることが必要である。

松下氏は、ケチケチ作戦が事態をますます悪化させるとも考えていた。この恐慌のときに、同氏は初めてスチュードベーカーという輸入車を購入している。輸入商が定価1万4000~1万5000円のものを半値にするといってきたのがきっかけで。「私は安いと思ったが、こういう時期だからもっと安くしてくれ」と頼んで、5800円で買った。1人の経営者が車を買ったところでたかが知れている。しかし、事態を改善するには、一人ひとりができることからやっていかなければならないのである。友人にも、このようなときだから家を建てろと勧めている。大きな危機のときには、ぜいたくは美徳だといえるかもしれない。これも現場主義の発想からは生まれない。