そこで一議にも及ばず

『生産は即日半減する。しかし従業員は1人も解雇してはならぬ。その方法として、工場は半日勤務として生産を半減、従業員には日給の全額を支給して減収をしないようにする。その代わり店員は休日を廃して全力をあげストック品の販売に努力すること。かくして持久戦を続けて財界の推移をみよう。さすれば資金の行き詰まりもきたさずに維持ができる。半日分の工賃の損失は、長い目で見れば一時的の損失で問題ではない。松下電器は将来ますます拡張せんものと考えている時に、一時とはいえせっかく採用した従業員を解雇することは、経営信念のうえにみずから動揺をきたすことになる』

と考えたのである。

2人は、私のとっさに決心をしたこの方針を非常に喜んで、(中略)即日全員を集めてこの方針を実行することを告げたのである。全員は快哉を叫んで賛成したのみならず、全店員は必ず全力を尽くして販売に努力することを固く誓いあった。恐ろしいものだ。全員の努力は見事功を奏して、翌年の2月には倉庫に充満していたストックは全部売り尽くされて、半日作業を廃するのみならず全力をあげて生産に努力をしなくてはならないという活況を呈するにいたったのである」

「この考えなり、その仕事ぶりなりが松下電器全員にとっても、どれだけ大きな体験となり信念となったかしれない。断じて行なえば必ずものは成り立つという力強い信念が、この時に植えつけられたのであった。(中略)こんなことで昭和5年の不況期も、私は上半期病床にあって各員を督励し、第五工場、第六工場を建設したのであった。

この年の7月、やっと病癒えて出勤し、新たに建設された両工場を見に行き、元気で張り切ってやっているありさまをみて、かつて味わったことのない感激にひたったことであった。

それからの松下電器の指導精神は、非常に強固なものとなったのである」