相手を目に前にすると怒れない

過去にこうした絶縁連絡をしたことがある人から話を聞くと、「すっと、相手からの仕打ちを当たり前のこととして捉えて、耐えてきた。だが、あるとき、過去の記憶を反芻していたら、その相手が関わることのすべてが一気にイヤになってしまった」といった心の動きを教えてくれることが多い。共通するのは“自分でも気づかぬうちにストレスが蓄積されていて、気が付いたときにはすでに限界を迎えており、怒りの感情が抑えられない”という状態だ。

そしてこれも共通することなのだが、彼らはほぼ必ず「上役や発注者を目の前にすると、怒れない」「後から考えると理不尽なことでも、言われたり、されたりした瞬間はひとまず受け入れてしまう」というのである。

「エラい人が私の不備を挙げ連ねているのだから、その場では相手のほうが正しいと思ってしまう。でも、家に帰ってから思い返すと『やはり相手のほうがおかしいのではないか』と考えてしまい、悶々とする。そうして怒りのぶつけ先がないまま過ごし、1週間くらいしてまたその人に会ったときは、業務に関する指示を受けたりするだけで終わってしまう。結局、前回の怒りをぶつける機会もないまま、惰性で仕事を続けてしまったんです」

激怒の後に重要なのは周囲への根回し

日本人特有なのかどうかはわからないが、面と向かって怒れないという人は意外と多い。一方、私はといえば、腹が立ったらその場で激怒して「もうおめぇとの縁は切るわ。付き合いきれんわ、ボケ」と平気で言える人間である。喫茶店などにいた場合は、自分の飲んだコーヒー代だけをテーブルに残し、何のためらいもなくその場を立ち去る。その後どうなろうが、知ったことではない。「もうこいつと一生付き合わない」と決断したことがもっとも重要なので、家に帰ってから、自分に落ち度がなかったかなどをいちいち検証することもない。

私が相手の目の前で激怒する状態に至るのは、こちらが怒ることに正当性があると判断できた場合のみだ。事後に考えるのは、自分がどれほどひどい仕打ちを受けたかを周囲に伝え、その人物と縁を切ったことをいかに周知するか、という点だけである。

だれかとの関係が修復不可能なものになった場合、面倒なのは「共通の知り合い」といった人が余計な詮索をしてしまうことだ。とくに男女でこのような衝突があった場合、2人にはいわゆる“男と女の関係”があり、痴情のもつれから仲違いに至ったのではと邪推する向きも出てきてしまう。そのため私は、キレた後は電光石火のごとく、重要な共通の知人に対して「実はこれまで、数々の理不尽な仕打ちを受けてきたんです。○○さんと縁を切ったのは、その結果にすぎません」と伝えるようにしている。真相を周囲に伝え、少しでも味方を多くつくっておくことが、余計な詮索や邪推を回避するには非常に重要なのだ。