飢えたカマキリを美しいと感じる理由

――虫を観察して得た“学び”はありますか?

【香川】たくさんありますが、一番の学びは、“飢えていることの大切さ”です。野生にいるカマキリは、そうそうエサとなる昆虫とは出会わないので、飢えています。僕はカマキリがエサを食べるところを見たいので、おなかがすいたカマキリを庭に連れてきて、バッタを目の前に置いたんですね。すると久しぶりのエサだったんだろうね。“0.5秒”で獲ったと思ったら、一気にムシャムシャ食べるわけ。「わぁー、あっという間に食った!」と驚きました。

写真=iStock.com/sinseeho

翌日は、ショウリョウバッタのメスをカマキリにあげたんです。カマキリと同じくらいの大きさがあるから、息の根を止めるために、ビュンビュン、ビュンビュンとカマではさんだバッタを振り回してすごいわけ。それもペロリと平らげた。ところが、そんなふうにエサをあげ続けた3日目、のんびり半分くらい食べたところで、残りの半分はポロッと落とし知らん顔。揚げ句はエサがあっても食べなくなる。

あんなに獰猛で、力強く、俊敏な動きをしていた“あいつ”が変わってしまったわけです。その様子を見たときに、「あぁ、常に飢えていないとダメになってしまうんだな」と思いました。

常に飢えていることが美しさであって、満たされた状態がいかに醜いか。大人になり年齢を重ねると、何らかの立場ができ、お金や物で満たされたら、飢えを感じなくなる。それでも精神的に飢えた状態をつくれる唯一の生物が人間。飢えた状態でいることが重要だと思うんです。この感覚は大人になり、役者という仕事をしている自分に根付いていますね。

全生物が同じ大きさだったら、昆虫は人より強い

――子供が虫を捕って家に持ち帰ると、「気持ちが悪いから、逃がしてあげなさい!」というお母さん、お父さんもいるようです。

【香川】昆虫は、人類よりずっと昔から地球上に存在する生命体なんです。そこから、さまざまに枝分かれして人間が誕生しました。人間は、生物の末端として生まれてきているわけだから、大先輩の昆虫に対し「気持ちが悪い」だなんて……生意気です! と伝えたいですね。

婚姻関係、社会性、階級社会など、そうした社会システムも、人間よりずっと先に昆虫がつくり上げたもの。この世の中で人間が初めてつくり上げたものなんて、実はそんなにないと思うんです。つまり、われわれ人間がしていることは昆虫の後追いにすぎない。昆虫はご先祖様なんだから。子供が昆虫を捕まえてきたら、ご先祖様として拝んでほしい(笑)。

昆虫は、小さいから馬鹿にされるのでしょうか。でも、すべての生物を同じ大きさにしたと仮定すると、一番強いのは昆虫だともいわれています。