農家は高く売りたい、八百屋は安く買いたい
それでも2年目はスーパーから「曲がったキュウリ、評判よかったよ。また持ってきてよ」と言われるようになり、収入も増えました。キュウリを使って漬物やサラダもつくりました。そのとき、「これだ」と思いました。「お客さんの要望に応えれば『ありがとう』と言ってもらえるのだな」と。
このやり方なら日本の農業の仕組みを変えられると思いました。けれど他の若い生産者は、近所や、何より父親との関係もあり、私のようなよそから来た者と違って好き勝手できない。生産現場から農業を変えるのはかなり難しいと感じました。
それなら販売現場から変えようと思い、大阪の千里中央で八百屋を始めました。立場が変われば考え方がガラッと変わるものです。生産者のときはキュウリ1本をできるだけ高く売りたいと思っていたのに、八百屋の店主になった私はできるだけ安く買いたたこうとしたのです。販売からの改革にも限界を感じ、和歌山に戻りました。
「自分の給料が払えなければ辞める」として起業
生産と販売が交わる流通を変えたいと思いましたが、手元の資金はたった50万円。ビジネスモデルも資金計画も人員計画もまったくない中で、何ができるかを考え抜きました。
家族会議を開き、妻には毎月10万円を渡す、1年やって自分の給料が払えなければ辞めるという条件で起業しました。
ありがたかったのは妻が嫌な顔一つせず、「好きなことをやってみたら」と背中を押してくれたことです。最初に始めたのが農家の営業代行コンサルタントです。農家が作ったみかんを百貨店に納入し、コンサルタントフィーをもらうビジネスです。
百貨店との契約が取れました。ところが、農家からフィーの入金がないのです。地方ではコンサルタントという仕事が理解されなかったのです。しかたないので農家に行って「お金はいいですから、そこにあるみかん、30箱ください」とお願いしました。