子ども向けの職業・社会体験施設「キッザニア」。運営会社の住谷栄之資社長が、メキシコで初めてみたのは61歳のこと。以降、63歳で東京、65歳で関西に施設をオープンさせ、74歳の現在も社長として指揮を採っています。長年勤めた企業を辞めたあと、なぜ挑戦を続けられたのか。そこには「人生100年時代」の働き方のヒントがありました――。

※本稿は7月24日に行われた和歌山県出身の若手ビジネスパーソン向け講演会「わかやま未来会議」の講演抄録です。

昔からの基本姿勢は「なんとかなる」

私は和歌山県田辺市で生まれ、6歳から大阪の箕面に移りました。大阪に移っても長期の休みには、田辺に帰り海でよく遊んでいました。そのおかげで水泳が人よりも少しできたということもあり、高校、大学時代は水球に夢中になりました。大学を出たあとは、藤田観光に入社。ホテルや外食事業、また今は有名となった直島の開発に従事し、いろんな人と接し、いろんなことを体験し、社会人としての基礎を学びました。

KCJグループ代表取締役社長兼CEOの住谷栄之資氏

4年半勤めたあと、大学で水球をやっていたときの先輩に誘われて始めたのがWDIです。1969年に会社を設立。「ケンタッキーフライドチキン」「トニーローマ」「カプリチョーザ」などを日本国内外で展開し、外食産業を軸に、定年までの35年を費やすことになります。

「トニーローマ」はアメリカで生まれたバーベキューリブのレストランです。1号店は東京・三番町に、2号店はハワイ・ワイキキに出店しました。ワイキキはオープンするまで苦労しました。場所探し、従業員の採用、マーケティングなど、いろんなことを1人でやったわけですが、海外に行って事業を始めることに対して、「なんとかなる」という考え方が僕の基本的なところにあります。

わずか30分で「わかった、手伝うよ」

米ビバリーヒルズに、料理の味も、雰囲気も非常に良い、優れたコンセプトの「スパゴ(Spago)」というレストランがあります。今でいう地産地消のお店で、その地域でとれた食材を使って提供する。聞いてみれば当たり前の話なのですが、日本は自給率が低く、食品の6割を海外から輸入しているのが現状です。当時はそこまで自給率は低くなかったものの、非常に関心を持ちました。

スパゴのようなレストランをぜひ日本でもやりたいと思った私は、シェフのウルフギャング・パックさんに会いに行きました。すると、わずか30分で「わかった、手伝うよ」という話に。今までいろんな契約を経験してきましたが、これが一番短い時間で成立した契約です。

相手は「この人、本当にやりたいのかな?」と思いながら、こちらの話を聞いています。私はそれほど英語が話せませんでした。でも、「ぜひやりたい!」というパッションが、英語ができなくても伝わったのだと思います。