さらなる路上の“自由”の拡大として、歩行者天国が実施されたのも、1970年であった。浅草・銀座・池袋・新宿で実験的に開始され、1972年に北海道旭川市に最初の恒久的な歩行者天国が設置された。商店街に人が戻り、排気ガスも減少し、歩行者天国は絶賛された。1973年には、上野駅前から銀座8丁目までの中央通りが歩行者天国になった。5.5キロメートルにわたるもので、ニューヨーク五番街をしのぐ世界最大の歩行者天国であった。最初の開催にあたってはテープカットまで行われている。
歩行者天国の開始当初も、やはり人々はすぐに路上に出たわけではない。「おずおずと車道に足を踏み入れ」、車から道路を奪還したことに感動したのである(朝日新聞1975年8月2日「歩行者天国 きょうで満5年」)。歩行者天国によって、斜陽とされていた銀座に人が戻り、銀ブラという言葉も復活した。次第にハンバーガーを売る店があらわれ、「路上で物を食べる」という風俗が広まった。ストリーキング、火炎瓶投げ入れ、過剰な政治活動といった懸念もあったが、日本にヨーロッパ的な意味での広場が毎週末ごとに出現するようになったといえるだろう。
路上の”自由”奪還のためのお祭り騒ぎ
スクランブル交差点は、路上の自由奪還の先駆けであった。そして、ワールドカップ、大晦日、ハロウィンなどの渋谷駅前スクランブル交差点でのお祭り騒ぎも、そうした系譜に位置づけることができるだろう。祝祭が作る非日常的な空間の中で、路上の自由から、さらには“天国”を目指す運動が一瞬だけ出現するのだ。
渋谷駅前のスクランブル交差点での騒乱が本格化したのは、2002年の日韓ワールドカップの時のようだ。この時には1000人以上が集結し、一部は暴徒化した。これ以降、人が集まるとすぐに規制されるようになっている。路上の自由は再び制限されるようになったともいえるだろう。個人的にはスクランブル交差点での騒乱には当惑するが、ある種のユートピア運動の残滓ととらえ返せるのかもしれない。
北海道大学大学院 准教授
1979年、東京生まれ。筑波大学大学院修了。博士(文学)。専攻は宗教学と観光社会学。著書に『聖地と祈りの宗教社会学』(春風社)、『聖地巡礼―世界遺産からアニメの舞台まで』(中公新書)、『江戸東京の聖地を歩く』(ちくま新書)、『宗教と社会のフロンティア』(共編著、勁草書房)、『聖地巡礼ツーリズム』(共編著、弘文堂)、『東アジア観光学』(共編著、亜紀書房)など。