上海人スナックママの嘆き
「正直なところ、人生の選択肢を間違えたかもしれない。あのまま中国に残っていたほうがよかったのかな。自分の親戚には、地方の県のトップくらいになっている人もいるんですよ」
私にそう話したのは、やはり50代の在日中国人女性・李美(仮名)だ。彼女は上海の軍高官の家庭出身。1989年、大学在学中に天安門の学生デモが起きたが、実家が体制側だったので民主化運動には一切参加せず、関心もゼロだった(なので、彼女は拙著『八九六四』には登場しない)。
卒業後に軍人と結婚したが、性格の不一致で間もなく離婚。当時の上海はまだ貧しかったので、思い切って日本に留学した。やがて日本で働くうち、稼ぎのいい水商売の仕事をはじめ、持ち前の頭の良さでのし上がってしまい、現在は東西線沿線の某繁華街でチャイナパブのママにおさまっている。
だが、21世紀に入り故郷の上海は未曾有の発展を遂げた。生活実態に即した購買力平価ベースでは、上海の一人あたりGDPはすでに日本を追い抜いた可能性が高い。李美のように上海戸籍を持つ軍人の子女なら、ずっと中国に残っていれば、現在はおそらく日本で暮らすよりも豊かな生活を実現できていたはずだ。
「水商売を選んだことは後悔していない。なにより、私は日本になじんでしまった。日本は空気もきれいだし医療や福祉もいいから、年をとるほど住みやすい国なのも確か。私はこの国でこのまま年をとって、死ぬと思う」
彼女はそう話すが、息子はさっさと英語圏に留学させ、現地の大学で学ばせている。将来的にはそのまま留学先に定住して、移民してもらってもいいと話す。日本という国は、自分の世代が住んでいるぶんにはまだいいが、次の世代が拠点とするには役不足の場所だからだ。
デモに熱狂した学生たちは日本人よりカネ持ちに?
拙著『八九六四』に登場する22人の天安門世代のうち、取材時点での中国国内在住者や、中国と仕事上で一定の接点を保っていた人は以下の7人である。以下に1989年の天安門事件当時の身分と現在(取材当時)の職業、最終学歴を紹介しておこう。
張宝成……北京在住 当時:家具店経営者(29歳) 現在:無職 学歴:専門学校卒
魏陽樹(仮名)……北京在住 当時:大学生(19歳) 現在:投資会社幹部 学歴:大卒
余明(仮名)……北京在住 当時:大学教員(26歳) 現在:経営者 学歴:大卒
呉凱(仮名)……東京在住 当時:在日留学生(25歳) 現在:ジャーナリスト 学歴:院卒
マー運転手……深セン在住 当時:労働者(24歳) 現在:タクシー運転手 学歴:小学校卒
凌静思(仮名)……北京在住 当時:夜間大学生(27歳) 現在:司書 学歴:大卒
趙天翼(仮名)……河北省在住 当時:在日留学生(20代) 現在:大学教授 学歴:院卒
呂秀妍(仮名)……関東地方在住 当時:大学講師(27歳) 現在:出版関連業 学歴:大卒
このうち、同世代の平均的な日本人とほぼ同等か、それ以上に豊かな生活や社会的地位を得ているように見えたのは、郭定京・魏陽樹・余明・呉凱・趙天翼・呂秀妍の6人だ。すなわち、中国民主化運動を続けて政治亡命などをしなかった大卒者に限れば、私が出会った天安門世代の7人のうち6人は、中国が民主化していない未来の世界で「勝ち組」になっていたのである。
もともと、1989年の天安門事件当時の中国の大学進学率は2.5%程度(ちなみに2016年の中国は42.7%、2017年の日本は52.6%)で、大学生は限られたエリートだった。1989年の中国で起きた民主化デモの中核を担ったのは、大部分がこうした大学生や、大学教員などの知識人層だった。