年をとることで得た「経験」を武器に

若者にとっては絶望的な話が続いてきたが、実のところ自分自身はこの状態がそれほど嫌いではない。というのも、老いが来たということは一方で、年を重ねるなかで「経験」だけはひとまず蓄積されてきたことを意味しているからだ。いわゆる人生経験、ビジネス経験というヤツである。仕事をするうえでは、優れた筋力やら長距離を走る能力よりもさまざまな経験を積んでいるほうが有利だ。

前述したように人の名前はとっさに思い出せなくなったが、「メディア企業がネットで糾弾された例って何かありますか?」なんて尋ねられたら、「2005年5月、JR福知山線脱線事故でJRの関係者に暴言を吐き続けた、読売新聞の“ヒゲ記者”って人物がネットでたたかれましたね。あと、記憶に新しいところでは、2017年9月、フジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげです』30周年SPで“保毛尾田保毛男”が28年ぶりに登場し、ジェンダーの観点から問題アリ、とネットで大炎上しました」など、データベースだけは豊富なので、適当な事例を瞬時に思い返すことができる。

あとは人の気持ちもいろいろ分かるようになってきたため、「ここはすぐに謝罪しなくちゃまずいな」や「これは明らかに先方に非があるから、こちらがキレてもいいパターンだな」といった判断もできるようになった。加えて「間違えたら最後に謝罪すればいいし、最悪、責任取って仕事を辞めればいいや。自分はもう、今の立場を失っても構わない」という開き直りもできている。

「いつまでも若々しく」を求めない

正直、仕事というものは苦行である。皆、生きなくてはいけないから仕方なくやっている側面が強い。就活生が希望に満ちた目で「若い力で日本を変えるようなサービスを生み出したいです!」なんてやっているが、彼らのこれからの苦労を考えると、彼らの22年先にいる今の自分の状態はありがたいとさえ思う。もっと言うと、現在無事に68歳で悠々自適の暮らしをしている人が羨ましい。

もう、これまでの21年のような時間は過ごしたくない。働き過ぎて会社の床で寝る日々や、イベント当日に寝過ごしてしまい先輩から長らく無視されるような日々を送るのは御免である。他にも、意に沿わぬ報道をしたため芸能事務所に軟禁されたこと、誤報をしてしまい頭を丸刈りにして謝罪に行ったこと、名誉毀損で裁判を起こされたことなど、さまざまなミスをしてきた。

いずれも35歳よりも前の話だが、そうした経験を重ねたことで、ここ9年ほどはリスク回避がある程度できるようになった。40代なかばになってようやく、安心して生きていけるようになったともいえる。

そう考えると「老い・衰え」と「経験の蓄積による仕事のやりやすさ」はトレードオフになる概念であり、「いつもハツラツ!」「今日もハッスルハッスル!」といった、みなぎるような若々しさまで維持しようとするのは、欲張り過ぎに思えてならない。

まあ、我々オッサン・オバサンどうし、老いを素直に認めようではないか。

【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・人は誰しも老いて、衰える。それにあらがって、若々しさを追い求めてもツライだけだ。
・老い・衰えを感じる年齢になったら、それまでに蓄積してきた「経験」を武器にしよう。
中川 淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者/PRプランナー。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライター、「TVブロス」編集者などを経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『バカざんまい』など多数。
(写真=iStock.com)
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