襲いかかる大転換期の荒波
今から27年前、夕刊紙「日刊ゲンダイ」連載の「流されゆく日々」というコラムで、日米の自動車産業を考察して、アメリカは国家として自動車産業を見捨てたという内容の「自動車産業論」を書いたことがあります。いま、明日なきアメリカの自動車産業界の惨状を見るにつけ、27年前に感じた予感が蘇ってくる。2008年という時代を振り返れば、行きつ戻りつしながらも、自分が予測してきた通りに時代が動いてきたなという感じがしています。
日本では戦後長く自民党政権が続いてきました。根本的な問題を抱えつつ、絶えず自己修正を繰り返して、あちこち綻びを繕いながらこれまでなんとかやってくることができた。自己修正によって時代や環境に適応して生き永らえるというのはある程度までは可能なのです。
しかし、いま日本の政治やアメリカをはじめとする世界の経済を見ていると、それも臨界点に達しているように思えてならない。もっと早く変わるべきものを、一生懸命工夫を凝らしてよくここまで持たしてきたけれども、いよいよ古い革袋では収まりきらなくなってきたな、と。そう実感させられた1年でした。
よく使われる言葉ですが、「時代の転換期」というものがあります。日本で言えば、たとえば12世紀から13世紀にかけて、貴族社会から武家社会へと大きく時代が移り変わった。こうした時代の変わり目が歴史の中には何度かあって、近代日本では明治維新と敗戦という2回の大転換期がありました。