日本が誇るべき2つの思想

五木寛之●作家
五木寛之●作家

旧都の荒廃を象徴する出来事が01年の9.11テロでした。9.11でアメリカの時代は終わった。パックスアメリカーナを象徴する建造物が破壊されただけでなく、世界一の大国を自負していたアメリカ人の心が壊れた。オバマ大統領が選ばれたのはアメリカ国民の危機意識の深さの裏返しでしょう。

同時に9.11テロを境に時代は「躁」から「鬱」へと大きく転換したというのが私のかねてからの見方です。空母を派遣し、ミサイルや戦略爆撃機を飛ばし、戦車で地上戦を華々しく戦うのは「躁」の戦争。「鬱」の戦争はテロであり、敵が見えない。

戦争の形態だけでなく、ありとあらゆる面で鬱の文明というものがいま、私たちの前に横たわっています。たとえば先のエコ。開発と発展が躁の経済学なら、エコは典型的な鬱の経済学です。そして躁の医学が病院治療なら、鬱の医学が民間療法であり、養生です。

鬱の時代をどう生きるべきか。やはり鬱を抱えて生きてゆくしかないでしょう。

「躁」という登山の時期は終わった。登山の時期は重い荷物を担いで山の頂だけを見て必死に登っているから、下を振り返ってみる余裕もない。しかし頂上を極めて下山するときには余裕ができます。下界を見晴らして、あそこに海が見えるとか、こんなところに高山植物が花を咲かせているとか、向こうから雷鳥が顔を出したとか、いろいろなことを考えながら、安全に、優雅に下りてゆける。そういう下山の文化というものがあって、下山が終わって初めて山登りは完結するのです。

ある人からポルトガルは日本の行き方の参考にならないかと言われました。黄金時代には海軍力で世界に覇を唱えたポルトガルは世界中からお金が流れ込んで、国王が「働くな」とお触れを出すほどの豊かさを誇った。ヨーロッパの片隅の穏やかな小国ですが、リスボンの歩道を歩くと敷石には全部モザイクが貼られていて往時の栄華が偲ばれます。