「他人との調和」は「媚びること」ではない

叶恭子
「自分の幸せを求めつつ、世の中や他人と「調和」して生きることは可能です。自分のしあわせを第一に求めるのは自分勝手なことではありませんし、ましてや、「調和」とは、「媚びること」ではけっしてないのです。」

――叶姉妹オフィシャルブログより(2017年8月17日)  https://lineblog.me/kanosisters/archives/13149434.html

こうして見ると、叶姉妹は非常に謙虚かつ低姿勢でコミケとコミケの参加者たちに対して臨んでいたことがよくわかる。しかし、それは決して「媚びること」ではないと語っている。この恭子の言葉は、美香が一連のコミケでの出来事を振り返るときに必ず添えているものだ。

どれだけ低姿勢でも、叶姉妹がどこか超然としているのは、「調和」が「媚びること」ではないという精神が彼女たちにしっかり根付いているからではないだろうか。それがあるからこそ、誰にでも頭を下げて教えを請うことができるのだろう。逆に、頭を下げることが「媚びること」だと思いこんでしまっている人は、意地を張り続けて新しい「調和」の世界を知ることができない。人と人との関係、組織と組織の関係、国と国の関係、すべてに当てはまることだと思う。

違うものに接することは、「学び」

叶恭子
「自分とちがうものに接すると、「学び」の機会が与えられます。その機会はときに、安心感よりも大きな心地よさとまだみぬ可能性をあなたにもたらすかもしれないのです。」

――叶姉妹オフィシャルブログより(2016年11月25日)https://ameblo.jp/kanosisters/archive14-201611.html

これは初めてコミケを訪問するより1カ月も前にブログに記されていた言葉。まさに叶姉妹はこの後、自分たちと違う世界に接し、「学び」の機会を得て、大きな心地よさと可能性を得ることに成功した。彼女たちは自分たちの考えを見事に実践してみせたのだ(文中敬称略)。

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