大阪で出会った友人の死

そして、思い出すのは2011年5月のことだ。東日本大震災の後、東京は節電などもあり、とにかく沈鬱な状況にあった。被災地と比べるべくもないが、あまりにも重苦しい雰囲気だったため、大阪の友人・サエコさんに救いを求めた。

「そっちに一回行っていいかな?」

この日案内してくれたのはサエコさんと、彼女の会社の1年先輩・ミワコさん(初対面)だったのだが、彼女たちは「いいよ。案内するわ」と言い、運河から大阪湾に出るボートのクルーズを予約してくれた。ビールとつまみを用意してくれており、それを飲み食いしながらゆっくりと水辺の風景を楽しんだ。この日の別れ際、本当に彼女らに救われた感じがし、「ありがとう。なんかいろいろスッキリした」と伝えたら「私ら、何もしてないけど」と言われた。だが、阪神大震災を経験した人々である。そのうえでのこの対応には、なぜだか嬉しさを覚えた。

ミワコさんとは初対面だったが、すぐに打ち解けられた。翌日は万博公園から新世界を案内してくれるという。2人の上司であるジロウさんがミワコさんと共に車で迎えに来てくれた。前日会ったばかりの女性と、この日初めて会った男性と3人での行動だったが、常にボケを挟みながら大阪を案内してくれる。新世界の串カツ屋でサエコさんも合流。16時に新幹線に乗るため新大阪駅へ行ったのだが、3人はホームまで来てくれた。そして、新幹線の発車とともに3人はホームを走り、かつての青春ドラマのごとく手を振る。なんというノリだ……。それからこの3人とはときどき会うようになった。彼らが東京出張の折には私が店を予約し、一緒に飲んだりもした。

ジロウさんは、その直後に癌が発見される。兵庫県にある最先端の放射線治療ができる施設に入ったころは、まだ元気だった。その1年後、私が最後に会ったとき、彼は「オレは生きたいんです。生きてまた皆さんと一緒にビールが飲みたい」と別れ際に言った。その2週間後に、彼は亡くなった。

「大阪人」と言っていいのかは分からないのだが、これまで出会ってきた人々のなかでも大阪出身者・在住者のコミュニケーションの快適さは格別だ。そんな大阪人のフレンドリーさみたいなものが、やや控えめになりがちな我々東京人には必要なのかもしれない。東京五輪を控えて、今後、海外から数多くの人が日本にやってくるだろう。それだけに、今こそ大阪人のコミュニケーションに学んでもいいのでは?

【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
周囲の空気を過剰に読んでしまう人、控えめでいることに慣れてしまった人こそ、大阪人の親しみやすさから「オープンで心地よいコミュニケーション」を学ぶべし。
中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者/PRプランナー。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライター、「TVブロス」編集者などを経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『バカざんまい』など多数。
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