仕事の合間に細切れでセブ島に通って勉強

【田原】セブの学校ではどんな勉強をしていたのですか。

【藤岡】留学して痛感したのは、インプットなしにアウトプットは出てこないということ。だから2回目のときは授業に出るのを1週間やめて、単語を2000語ぐらい覚えました。

QQイングリッシュ代表 藤岡頼光氏

【田原】セブで? そんなの日本でできるんじゃないですか。

【藤岡】まったくおっしゃる通りです。ただ、東京にいるとどうしても仕事の電話がかかってきます。集中して勉強するには、東京から出たほうがいいなと。

【田原】単語を覚えたら話せるようになりましたか?

【藤岡】いえ、全然(笑)。この勉強法は大失敗で、単語を覚えても会話じゃほとんど使えませんでした。会話は単語ではなくセンテンスでやるのだから、インプットするならセンテンスじゃないと意味がない。そのことに気づいて、東京に戻って『DUO select』というテキストを購入して、とんぼ返りでセブに戻ってまた暗記です。

【田原】これもわざわざフィリピンに戻って覚えたの?

【藤岡】はい。発音も大事ですから、まず先生にセンテンスのうち最初の3語くらいを話してもらって、私はそれの真似をして発音。少しずつ長くして、センテンスを覚えるというやり方をしていました。

【田原】それなら先生がいる意味がありますね。その勉強法を10カ月お続けになった。ほぼ行きっぱなしですか。

【藤岡】いえ。日本にいる時間のほうが長かったです。セブに行くのは月1~2回で、1回3日から1週間程度。最短1日で帰ってきたこともあったかな。時間を見つけてはセブに行き、終わると慌てて日本に戻るといった生活でした。

【田原】細切れでよく上達しましたね。

【藤岡】たぶん留学だけでは話せるようになっていなかったと思います。私は日本に戻っている間も、セブの先生からオンラインで授業を受けていました。話せるようになったのは両方やっていたおかげです。

【田原】オンラインは学校のカリキュラム?

【藤岡】違います。私がセブに行ったのは2005年ですが、当時、オンライン英会話は影も形もありませんでした。ただ、スカイプという無料通話のシステムはできていたので、私が先生4人にパソコンを買って渡して、勝手に始めました。当時は回線代も高くて、えらい出費でした。

【田原】とするとオンライン英語学習は、藤岡さんがつくった?

【藤岡】おそらくそうじゃないかと。オンライン英会話学校が出始めたのが2006~2007年ごろで、その前から私が個人的にやっていたことは確かです。

Skypeを使ったオンライン学習事業

オンラインで学習できるなら、留学する必要はないのでは?

【田原】オンラインで勉強できるなら、セブに留学しなくてもいいんじゃないですか。

【藤岡】オンラインとオフラインは両方あったほうがいいんです。というのも、オンラインだけでは続かないから。オンラインでやりつつ、3カ月後とか半年後にこの先生に会えると思うから、単調なレッスンも楽しめます。

【田原】2つあったから藤岡さんも続けられて話せるようになったと。当初の目的のオーナーとは会話できるようになったのですか。

【藤岡】はい。バイクの会社は昨年の8月に売却したので仕事上のつながりはなくなったのですが、いまでも友人として仲良くさせていただいています。もちろん会えば英語で話してます。

【田原】中高年になってから英語を覚えるのは、やっぱり大変だったと思う。あらためて聞きます。英語を覚えるコツは何ですか。

【藤岡】大事なのは目的をはっきりさせること。目的が明確になれば、捨てていいものが見えてくるじゃないですか。たとえば私はオーナーと交流することが目的だったから、TOEICの点数をあげる必要はないし、受験のテクニックも要りません。発音だってネイティブのレベルは求められていない。若い人なら欲張ってぜんぶやるのもいいけど、40代は無理。中高年は何を捨てるのかを決めることが上達の近道だと思います。

フィリピンで手探りの学校経営

【田原】英語ができるようになった。その後、どうしてご自分で学校をやろうと思ったのですか。

【藤岡】フィリピン人教師は教えるのがとてもうまいのに、学校は韓国系ばかり。日本の人にもっと知ってもらいたいという思いから、自分で学校をやることにしました。

【田原】学校の経営は初めてでしょう? ノウハウはあったんですか。

【藤岡】まったくないです。最初はマンツーマンに適した教科書もありませんでした。家庭教師用の教材はあっても、2人用だから二人称までしか出てこない。マンツーマンでも三人称を教えられるような教材を一からつくりました。

【田原】先生は?

【藤岡】これも最初は苦労しました。オンラインはすぐオープンしたのですが、留学のオフラインのほうは許認可を取るのに1年半ほど時間がかかりました。その間、先生をトレーニングするために無料で生徒を募集して教えていたのですが、ある先生は50分の授業で一言も話さず、生徒さんから「いくら無料でもひどすぎる」と苦情を受けてしまった。先生に理由を聞いたら、「マンツーマンだと何を話していいのかわからなかった」という。それくらい先生側にも教えるノウハウがなかったんです。

【田原】どうやって先生の質を高めたんですか。

【藤岡】まず考えたのは、コピーはやめようと。韓国系の学校はアメリカ留学やイギリス留学の安いコピーで、誰が先生になっても変わらないようにマニュアルをつくって先生を大量生産していました。でも、バイク屋のときの経験で、そのやり方は続かないとわかっていました。かつて日本に中国から安いコピーバイクがたくさん入ってきたことがあったのですが、結局、生き残らなかった。留学も同じで、欧米のコピーではいずれ廃れます。そうしないために、メイド・イン・ジャパンでどこにも負けない品質の英会話学校をつくろうと考えました。

フィリピンのセブ島は、今や英語留学のメッカとなっている。