1980年代後半から90年初頭にかけての「バブル景気」(以下、80年代バブル)は、73年と79年に起きた2度の「オイルショック」の後に起きた現象です。

オイルショックから抜け出そうとしたアメリカは80年代前半、ロナルド・レーガン大統領による景気対策、いわゆる「レーガノミクス」によって景気回復のムードが高まり、日本も対米輸出をテコに景気が回復し始めました。

ところが85~86年、日本は「円高不況」に見舞われます。G5(先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)での「プラザ合意」により、ドル高修正へ為替の協調介入が実施されたからです。これを受け、日銀は公定歩合を引き下げるなど金融緩和策に乗り出しました。

しかし円高になると、海外の高級ワインや輸入車、高級ブランド品などが安く買えるようになって消費が拡大し、景気はすぐに再び拡大基調に転じます。

当時の石油価格はオイルショックの反動から供給過剰気味となったこともあり「円高、原油安、金利安」が実現。この状況は「トリプルメリット」などと呼ばれ、株価を押し上げる原動力にもなりました。

ほどなくして「カネあまり」「財テク」などといった言葉が躍るようになります。その象徴的な出来事が、87年2月、NTT株が上場したときの第1次売り出しでした。

初日は買い注文が殺到して売買が成立せず、翌日ストップ高の160万円で初値をつけたと思ったら、4月には318万円の最高値に。売り出し価格が1株約120万円だったわけですから、それまで株式投資をしていなかったような人でも、株に高い関心を示すきっかけとなりました。

この頃、「株や土地を買えば、必ず儲かる」という風潮が蔓延。一般投資家でも株式の信用取引を恐れず、金融機関は「土地を買うならいくらでも借りてください」と言ってくる。やがて投機的な動きも散見されるようになっていきました。

80年代バブル期の株価が、いかに実際の企業の業績・利益から乖離していたかを東証一部の「PER」(株価収益率)で見ると、85年ですでに30倍を超え、89年には70倍前後に達していました。

「PER」とは、企業の利益水準に対して株価が何倍あるかを示すもので、株式の投資価値を判断するモノサシの1つです。「株価÷1株当たり利益」または「時価総額÷純利益」で算出されます。

例えば、1株当たり利益が10円で、株価が200円ならPERは20倍。PERが上がれば株価は割高、下がれば割安と判断できます。

何倍になるとバブルかという定義はありません。しかし過去の経験から、十数倍~20倍以下程度であれば適正、それを大きく超える状態が一定期間続くとバブルの兆しあり、と見ることができるのです。

その一方、消費者物価指数の上昇率はほぼ3%以下。いまと比べれば高いと感じるかもしれませんが、極端なインフレが起きていたわけではありません。つまり、明らかに実体経済と株価が、大きくかい離していたと考えられます。

結局、このバブルは、日銀による極端な金融引き締め策と大蔵省による不動産向け融資の総量規制により、一気にはじけてしまいました。