つい使いたくなったり、また、うっかり使ってしまうこともあるだろうが、肝心なのは相手にこちらの伝えたいことが伝わっているかいないか。状況に応じて伝わる言葉は変わる。一方通行のコミュニケーションになっていないか、センサーを働かせよう。

では、知らないカタカナ語を聞かされる立場としてはどう振る舞えばよいのだろう。多くの人は、知らないカタカナ語に出くわした場合、その言葉なに? と尋ねることをためらう。聞いたら常識のないバカだと思われるんじゃないかと思うからだ。

「内心はイラッとし、〈こいつ自分の話が伝わっているかどうかもわからないのか? なんという想像力のなさ、配慮のなさ、まったく無神経なやつめ〉という気になるはずです。それが人間です。知らないという恥ずかしい気持ち、ひがみは人を攻撃的にさせます。これは決していいことではありません」(コラムニスト 石原壮一郎さん)

では、どうすればよいのか。

「ここは素直に『その○○という言葉、よくわからないんですけれど、どういう意味ですか?』と聞いて、相手がどんな顔をするかで、これからの付き合いを考えればいいのではないでしょうか。『あっ、すいません。こういう意味です』と申し訳なさそうにわかりやすく言い換えるか、それとも舌打ちしないまでも嫌な顔をする対応か。カタカナ語で格好をつけたり、当たり前のことを大仰に表現するために使う人もいるでしょうが、ほとんどは、悪気はなく素直な人だと思いますよ」

わからないことを聞かないと、大事なビジネスの話が理解できないだけでなく、話している相手のことまでも嫌いになってしまう。そんなことで嫌いになるのは大きな機会損失でもある。

「ビジネスシーンでは、知らないカタカナ語に出合うのは避けて通れません。むしろそれが飛び出してきたときの、対処方法、応対が問われているのかもしれません」

最後に気になるカタカナ語の傾向について、石原さんはこう語る。

「これまでも、若者コトバ、女子高生コトバが流通するたびに、大人たちは、イラッとし『日本語で言え!』と文句を言っていましたが、いつのまにか浸透して残っている言葉も少なくありません。ただ、最近のカタカナ語のルーツはネットの用語やコンサル用語からのものが多く、ユーモアや余裕が感じられません。無理して使うと必死感が漂うので、注意が必要でしょうね」