山梨県中央市に本拠を置く株式会社サラダボウル。地元の休耕地を引き受けてこだわりの野菜をつくるほか、行政と組んで日本初の高糖度ミニトマト「スプラッシュ」の栽培にも取り組む。創業者である田中進社長は、大学卒業後に一旦は金融機関で働くも、農業に可能性を感じて農業の世界に飛び込んだ異色の経歴の持ち主。金融マン時代に数多くのベンチャー企業をサポートした経験を生かし、「農業の新しいカタチを創りたい」と意気込む。今年13年目を迎えるサラダボウルの、成長の軌跡を聞いた。
部下の一言で覚悟を決めた
――これまでをふり返って、大変な時期もあったかと思いますが、飛躍のきっかけとなったターニングポイントはありましたか。
【田中】会社を立ち上げて3、4年した頃でしょうか。今は役員を務める当時の部下に「現場は僕らに任せてほしい」と言われたことがあります。それまでは僕も一緒に畑に出ていたのですが、「僕らが今日のサラダボウル、明日のサラダボウルをつくっていくから、社長には3年後、5年後、10年後のサラダボウルをつくる仕事をしてほしい」って。そのときですね、次のステージに向かってやっていくんだと覚悟したのは。それをきっかけに、次を担うリーダー育成にも本気で取り組むようになりました。
大規模投資で立派な施設をつくると、それが飛躍のきっかけのように言われることがあります。ですが、それは必然の結果であり、それ自体が重要なことではありません。それよりも、その前段階で挑戦できる体制が整ったことのほうが重要。それはつまり、人が育ち、モノ、カネ、情報などの経営資源も揃ってきたということ。そこが一番大きなターニングポイントだと思います。
――なるほど。大規模投資など外から見える変化よりも、人が育つことが会社にとっての転機になるわけですね。
【田中】そうですね。ターニングポイントをもう1つ挙げるなら、さっきの一件より前の話ですが、人材育成について教育に携わる人に厳しく指摘されたことがありました。僕たちはその頃から、全国から人を集めて農業研修を行っていましたが、「田中さんがやってることは、農業をやりたい人を集め、脱落者を出しながら優秀な人を選び出しているだけ。人材育成でも教育でもない」と。当時の僕の意識では、農業はつらくて当たり前。それで弱音を吐いて辞める人間のほうが悪い、くらいに思っていたんです。まったくお恥ずかしい限りです。
そうではなく、サラダボウルにやってくる就農希望者を農業の道で幸せにすることが、本当の意味での人材育成・教育である。そう気づかせてもらってからは、人材育成のやり方も変えてきています。