こと京都の山田敏之代表がアパレル関係の仕事を辞め、父親について農業を始めたのは1995年。収入の低さに驚いたが、まずは「年商1億円」の目標を立てて周年栽培ができる京野菜の九条ねぎに作物を絞った。そこが農業生産法人「こと京都」の飛躍の転機だった。カット加工に取り組み、営業畑で培った販売力、情報力を発揮して売上げを伸ばす。「3億円ぐらいまでは勘と度胸の経営」だったが、中小企業家同友会のセミナーで経営の基本を身につけた。今年度の売上げは15億円を見込む。いかにして「脱サラから年商15億円」の農業経営者への階段を上ったのか。その方法をじっくり聞こう。

一番の強みは、「味」

――「勘と度胸」から本格的な経営への転機は何だったのでしょうか。
山田敏之(やまだ・としゆき)●こと京都株式会社社長。1962年、京都府京都市生まれ。大阪学院大学商学部を卒業後、約8年のアパレル企業勤務を経て就農。2002年、有限会社竹田の子守唄を設立、のち07年にこと京都株式会社に組織変更を行う。2014年にこと日本株式会社、15年にこと京野菜を設立。現在、日本農業法人協会副会長、日本食農連携機構理事、京都府農業経営者会議会長などを兼務する。著書に『脱サラ就農、九条ねぎで年商10億円』がある。
こと京都>> http://kotokyoto.co.jp/

【山田】先行きに不安を感じたとき、中小企業家同友会の経営指針書を作るセミナーを受けたんです。当時は、「ねぎのビジネス」「養鶏ビジネス」「菓子ビジネス」と経営に迷っていたが、お尻に火がついた。半年間、みっちり経営の課題、いろんな分析をやりまして、目からウロコが落ちた。経営者はこういうことしてたんや、と知りました。

――京都産の九条ねぎに絞った背景を教えてください。また、その強みはなんでしょうか。

【山田】自分の強みを生かすには九条ねぎでした。いま、すべての野菜生産の65%ぐらいが加工品です。国も加工を奨励していますが、単価は低い。大量に加工品を作って利益を出すためにほとんどの生産者は味を一切追求していません。九条ねぎの一番の強みは味がいいこと。僕らの目線で、ある程度の物量、安定的な出荷、そして安定価格の三条件をクリアすれば十分、勝てると読めました。

去年は1000トン出荷しました。九条ねぎの20%のシェアをうちが占めていますが、青ねぎ市場全体では1%に過ぎません。青ねぎの10%を占める生産者グループを形成して味を追求すれば、利益の出る仕組みが確立します。

――ねぎビジネスの市場自体は、どうですか。

【山田】食料費が減るなかで、ねぎは逆に増えています。海外は中国だけで、さほど多くない。ですからTPP(環太平洋経済連携協定)の影響はそんなにない。TPPに関してはコメ農家さんがねぎに入ってくるかな、と。「こと京都」自体の九条ねぎの生産と、他の生産者によるものは半々。それを加工して販売しています。今年7月から静岡県磐田市で白ねぎの生産を始めました。ねぎの専門商社=「こと日本」を通して販売しますが、ここはパイを掴むための会社。無茶苦茶利益追求するわけではありません。利益が出たら、生産者の買い上げ単価を上げたいですね。

――では、基本的なことからお聞きします。ビジョンや経営テーマを教えてください。

【山田】大きくいえば人材育成ですね。ビジョンは方向性です。社長はわかっているけど社員に浸透していない。人が増えたら絶対に必要です。基本に帰れ、原点に戻れというのは理念で示すしかない。それがなければ、求心力が落ちます。