安い中国産も脅威にあらず

――飛躍のターニングポイントを改めてふり返っていただけますか。

【山田】やはり年商1億円の目標を立てたことです。そしてカット事業に入った。ちょうどラーメンブームが到来して、僕は関東に営業に行きました。それも大きかった。カット、ラーメン、関東の3点セットで年商が6000万円、1億、2億と増えました。

――逆に最大の危機は何だったのでしょうか。こう乗り越えたということを教えていただきたい。

【山田】よく安い中国野菜は脅威だったのではないか、と聞かれますが、僕らが入ったときにはもう流通していました。そこで中国野菜に手を出さないグルメラーメンに狙いをつけて攻めたんです。

最大の危機は、「3.11」東日本大震災ですね。3億円の売上げで4億円の投資をして衛生環境も整えた工場を建設して、フル装備ができたところでした。2011年2月にお披露目をして、スーパーにも商品を持って営業に回り、4月から本格稼働の予定でいました。

その矢先に震災です。8月頃まで出荷がストップ。東日本の産地は潰れて、ラーメン屋さんは計画停電で営業できない。あれは痛かった。その年の11月は雨がまったく降らなかった。12月に寒波襲来で、翌年の1月には80cmぐらいに成長してないとだめなのですが、40cmぐらい。お得意先さまには大変ご迷惑をおかけしましたが、何とか回復したんです。

――大変でしたねぇ。現時点で経営上の課題は何でしょうか。

【山田】一番は人材の育成です。農地については、京都市と亀岡市と美山町の3つにわけているのですが、亀岡、美山は耕作放棄地が増えているので、借りやすいです。やはり、今後、「こと日本」を全国展開するうえで、生産地を指導して回る人間などを厚くしたい。年商200億円という目標に向けて準備するには人。人材育成に、お金もかけています。要は、ねぎビジネスは陣取り合戦。全国で2000億円の事業があって、その陣取りをしてるんです。

――産地表示や生産履歴が陣取りの鍵を握ると思うのですが、京都という場所、ブランドは非常に強いイメージがあります。

【山田】いやいや、環境的には弱小です。というのは、生産量が少ないから、商売になりにくい。ただ、京都というブランドはフルに使わせてもらっています。いままで大量につくれておらず、ビジネスにならなかった。それを僕らが物量を確保して、安定供給させてメニュー化し、広く、使いやすいものになった。ですから、ねぎ生産が京都府内でもかなり増えてきました。これからは冷凍が絶対に必要です。京野菜では、九条ねぎはある程度のボリュームでできる。白ねぎと違って青ねぎは日持ちしません。買ったまま腐らせるから、メニューを多く出せないんです。じゃあ冷凍でやればいい。ロスになりませんから。

――さきほど年商200億円という話がありましたが、たとえば500億円、それ以上を目指すとなると、どんなブレークスルーが必要でしょうか。

【山田】ねぎ専門商社=「こと日本」が白ねぎを含めた全国展開を進められれば、他の品目にも手を拡げられる。そうしたら500億円も夢ではない。

――KPI(重要経営指標)は、どう立てておられますか。

【山田】「こと京都」は営業利益率10%を目指したい。「こと日本」は2~3%ぐらいかなと。その分、買い上げ単価を高めたいんです。