日本有数のみかん生産地である「有田みかん」。この地でみかん農業を牽引する早和果樹園(和歌山県有田市)は、1979年、7戸のみかん農家が「早和共撰」を組織して創業。その後、2000年に有限会社として法人化した(2007年に株式会社に組織変更)。みかんの露地栽培のほか、ジュースやジャム、ゼリーなどの加工品製造も手掛け、生産から加工、販売まで含めた6次産業に取り組んでいる。現在は常勤従業員約60人で年商7億8000万円を稼ぐが、「もとは守りの意識の強い、ただ熱心なだけの農家の集まりだった」と秋竹新吾社長はふり返る。そんな農家の集まりが、どのようにして加工品製造・販売に取り組むなど積極的な事業展開に挑戦するに至ったのか。その経緯を聞いた。

法人化で拓けた可能性

――会社が飛躍するきっかけはいくつかあったかと思いますが、今振り返ってみて、これこそが早和果樹園のターニングポイントだったというものはありますか。
秋竹新吾(あきたけ・しんご)●株式会社早和果樹園代表取締役社長。1944年、和歌山県有田市生まれ。和歌山県立吉備高校(現有田中央高校)柑橘園芸科を卒業後、実家の果樹園を継承して就農。1979年、近隣の7みかん農家とともに早和共撰を創業する。2000年に株式会社早和果樹園へと改組して現職。
早和果樹園>> http://sowakajuen.com/

【秋竹】2000年11月に法人化したのですが、農家から会社になったことが、一番大きかったと思います。農家って、お金の勘定も含めて適当なところがあります。それまでは私と家内と息子の3人でやっていましたが、時間にはルーズだし、結構いい加減でしたよ。朝はそれほど早くないのに、昼寝をしたり、今日は暑いなと思えば、畑に出る時間を遅らせたり。家族でやってると、甘えも出てきてしまうんですね。

あるとき、研修生が半年ほどうちに来てくれたことがありました。その研修生がやる気のあるしっかりとした若者で、その人が来た途端、「明日は何する?」と計画的に考えるようになって。日曜日は必ず休みを取っていたのに、仕事が前へ前へと進んでいきました。

その頃は、「法人化」という選択肢を知りませんでした。そんなとき、法人化して目標を掲げて取り組む梅農家の話を聞き、これだ、と閃いたんです。私たち7戸の農家のうち、4戸に後継者ができたこともあり、やはり計画性を持ってやらなくてはダメだと考えを改めました。それまで共撰組合としてやってきた農家仲間を説得して、法人化したのです。

――法人化したことで、事業体としての覚悟が生まれ、加工業への参入や商品開発にも挑戦するようになったのですね。

【秋竹】そうです。みかん農家の場合、11月から1月にかけては非常に忙しいのですが、それ以外はそれほどでもないという状態でした。しかし、法人化したら、例えば人を1人雇うにしても、年間を通して仕事がないと成り立ちません。それで、周りの生産者がつくったみかんを集めて販売してみようとか、みかん加工をやってみようということになりました。

法人化していなかったら、おそらく加工はやってなかったでしょう。自分たちができる範囲のことを守ることで精一杯でしたから。法人化したことで、一農家ではできないことをやってみよう、と前向きな姿勢に変わった。これが大きなターニングポイントだったような気がします。