若き日のブッダは、生老病死に世の無常を感じて出家した。著者は、大検を経て東大法学部卒業。政策シンクタンクに籍を置いたものの「このままでは何かを失う」という気がして35歳でインドにおもむき、得度する。
「ナーグプルという都市でアウトカースト(不可触民)の子供たちの食事の世話をしました。一介の僧で、お金も力もない私は『この子が幸せでありますように』と念じながらカレーをよそいます。そのときに、生まれて初めてやすらぎを感じたのです」
関西有数の進学校に入り、級友たちとの競争に明け暮れた。試験の成績が良ければ慢心が頭をもたげ、悪ければだめだと劣等感で落ち込む。比べる以外に意味が見えない勉強に疑問は募り、家に帰れば、過干渉な父親と激しく対立。著者は中学3年で登校をやめ、16歳で家を出た。
ひとは親との関係や過去の体験を通して“業”を作る。仏教が教える業とは、心を支配し、突き動かす力のこと。それが自分の人生を作っている。あらゆる苦悩の背後には業が潜んでいる。
「インドで感じた平穏は、慈しみの心で子供に接することで生まれたものでした。そのときの私は業から解放され、欲も怒りもないニュートラルな感覚だったはずです。この状態で家族や職場と向き合えば、きっといい関係がつくれると思いました」
そのためには相手の業を理解し、自分の業も知り、執着を断ち切ることが必要だ。1日のどこかで心を見つめる時間を持つ。すると、対人関係も苦しめ合う関係ではなく、わかり合うものに変わっていく。心が波立ったならば、深呼吸をして、心をもう一度つくり直せばいい。
(永井 浩=撮影)