チェン氏以外にも、過去に様々な人材が高い報酬をエサにテリーから情熱的に口説かれて入社したが、長く働いた人は少ない。その一因は、ホンハイの社内に何重にも存在する「ウチとソト」の区別だ。台湾人か否か、創業メンバーか否か……。同社の上海支社で働く現地社員はこう証言している。
「台湾人社員と中国人社員との扱いの差は大きい。われわれ中国人ホワイトカラーは、台湾人が優遇される社風を嫌い、すぐに退職する。能力以外の部分で壁がある印象だ」
そんなホンハイの社風に、「外様」の最たるものであるシャープの社員たちが溶け込めるのか。心配は尽きない。
シャープ買収と酷似台湾企業の結末
「09年の提携当時、テリーさんはうちの会社(奇美電子)に非常に敬意を払ってくれました。しかし、彼は技術を見ていただけで、私たちの社風を見ていたのではなかったと思うのです」
台南市の奇美博物館で取材に応えたのは、奇美(チーメイ)実業の創業者・許文龍(シュー・ウェンロン)氏だ。日本統治時代の1928年生まれ。流暢な日本語を操る台湾屈指の実業家だ。

終身雇用制と充実した福利厚生で有名な奇美グループは、かつて完全週休2日制や残業禁止をいちはやく導入し「台湾で最も幸福な会社」と称された。
「日本の影響かもしれません。うちは会社全体が一つの大家庭。利益だけを追求しないんです。技術は大事ですが、社員には仕事のなかでも人間味を失わないでほしい」
そんな奇美グループの傘下には、かつて奇美電子という会社があった。
09年、当時世界4位の液晶パネルメーカーだった奇美電子に、テリーがホンハイ傘下の群創光電(イノラックス)との対等合併を提案。株式保有比率は奇美側が17%、ホンハイ側が11%とされ、存続社名も奇美電子(チーメイ・イノラックス)となるなど、奇美側に対するテリーの配慮を反映した契約内容となった。だが、もとより同床異夢の「結婚」である。
許氏は、経営の第一線に立っていた頃から「仕事は5時間まで」という哲学の持ち主で、バイオリンや釣りを好む風流人だ。一方でテリーは「仕事が趣味」と公言してはばからないワーカホリックである。そんな両者の提携は、当時の奇美電子の技術を欲しがったテリーが、人たらしの才能を最大限に発揮したためだった。