「一緒に釣りに行く約束もしました。しかし、うちに敬意を払ってくれたのは最初だけで、釣りにも行かずじまいでしたね。テリーさんは物凄い方ですが、落ち着いて釣りができるようなタイプじゃないんですよ」

当初は「世紀の大合併」と騒がれた提携だったが、矛盾は一瞬で噴出した。合併後、奇美側とホンハイ側の経営陣・従業員の内紛が続き、会社は11四半期連続で赤字を計上したのだ。

「企業文化が違いすぎたのです。1プラス1で3になると思っていたら、合計で1.8にしかならなかった」

「われわれはいったん会社に入れた社員は、『使えない』からって干したりはしない。ところがホンハイは、人の出入りが非常に頻繁です。給料が高ければ入り、安ければ逃げるという感じですから。体質が合わなかった」(ともに許氏)

結局、12年6月に奇美側は自社の役員を全員引き揚げ、経営の実権をホンハイ側に譲り渡す。同年末、テリーは同社の社名を「群創光電」に再変更し、完全に奇美電子を乗っ取るような形になった。同社に近い筋の話では、従来の社員の多くがホンハイの支配を嫌って会社を去ったという。

ただし、会社はホンハイの厳格な管理下に置かれたことで復活を遂げ、13年に黒字化する。大量の人材が去り、「台湾で最も幸福な会社」の人情味が失われた結果、カネを稼ぐ機能だけは回復したのだ。

――奇美電子の変貌は、現在進行中のシャープの変化の雛型にも見える。

「今回の件は買収ではなく投資だ。両社はこの提携を通して、お互いの強みを活用して業務を進めていきたい」

「ホンハイとシャープの両社の(企業文化に)違いがあるのは、まさに私たちにとっての資産だ」

2016年4月、シャープへの出資契約に調印したテリーはそう嘯き、「対等」な関係を強調した。テリーの熱中度は、台湾メディアが「鴻夏恋」(シャープへの恋)と書き立てるほどで、往年の奇美電子への熱意を大きく上回る。

「……ちょっと(自社のケースと)似ていますねえ」

シャープ買収劇への感想を尋ねると、許氏は一言だけそうつぶやいた。