真田丸から見える「時代の空気」

「真田丸」のシナリオを分析してみると、真田家の行動はエフェクチュエーション的な傾向が極めて強いことがわかります。第3話~第6話(1582〈天正10〉年3月~6月)では、真田家が仕えてきた武田家の滅亡後、織田信長に仕える決断をしたものの、本能寺の変が勃発し、どの大名に従うべきか迷いながら、やがて独立小大名としての地位を確立する可能性に目覚めるまでが描かれています。

分析では、この期間の真田家の政治的決断と行動が示される全21シーンを取り上げ、米国の経営学者グレッグ・フィッシャーの論文(※)に基づき、コーゼーションとエフェクチュエーションの行動基準をそれぞれ7つ設定し、各シーンにおいて、どちらの行動がより多く見られるかを判定しました。

その結果、21シーンの中で、7つの行動基準のうち、◎(よく当てはまる)が2つ以上あるシーンは、コーゼーションが3、エフェクチュエーションが13でした。また、◎や○(やや当てはまる)が合わせ4つ以上あるシーンは、コーゼーションが1、エフェクチュエーションが8でした。こうしてみると、エフェクチュエーション的な行動が圧倒的に多くを占めていたといえます。

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コーゼーションとエフェクチュエーションの行動手順の違い

「真田丸」はフィクションであり、実際に真田家が乱世をどのように歩んだのかはわかりません。したがって、この分析によって、未来の見通しが立たない時代を乗り切ることにエフェクチュエーションが適していることが実証されたと結論することはできません。この分析から見えてくるのは、時代の空気です。

フィクションですから、混乱の時代のヒーローの物語を、コーゼーションのストーリーとして描くこともできたはずです。すなわちヒーローが、乱世の行く末を見抜く情報収集力や予測力、あるいは直感的に未来を見通す構想力(ビジョン)によって時代を乗り切っていくストーリーです。かつては、そのような大河ドラマが人気を集めたこともありました。それに対して「真田丸」では、真田家の当主・昌幸(信繁の父)は、予測も志も立てず、朝令暮改は当たり前です。このように、ヒーローが予想外の事態に事後的に対応していく瞬発力、あるいは大変動の中、その場その場でできることをうまく見出しながら活路を開いていく知恵を前面に出したストーリーです。

今の日本では、多くの人がナイトの第三の不確実性の中を生きていると感じているのでしょう。あるいは、コーゼーション的な振る舞いにリアリティを感じられなくなっているのかもしれません。だからこそ、予測が困難であり、ビジョンなき時代におけるヒーローの姿を「真田丸」は描き出しており、そこに多くの人が共感しているのだと思います。