孫が語る祖父、チャーチルの欧州観

さて、チャーチルは離脱派か残留派か。

残留派のジャーナリスト、マーティン・ケトルはチャーチルはきっと残留派にいただろうという。まず、チャーチルが欧州のことを話すとき、常に「私たち(we)」と言う、イギリスも含めた言い方をしていたことを指摘する(5月10日付、ガーディアン紙)。

チャーチルの孫で保守党議員のニコラス・ソームズは、BBCの取材の中で「祖父はきっと、EU残留派だったろうと思う」と述べている(BBCニュース、5月10日)。

フランスのシャルル・ドゴール将軍は戦時中、イギリスに亡命し、抵抗活動を続けた。それにもかかわらず、イギリスがEUの前身となるEECへの加盟を申請した1963年、「加盟を認めない」と返答したのはドゴール将軍だった。チャーチルが亡くなる2年前である。

こうした仕打ちを受けながらも、ソームズ議員はチャーチルが残留派だったろうという。チャーチルが亡くなった時、ソームズは17歳だった。祖父のチューリッヒでの演説の解釈については「触ってはいけないもの」という雰囲気があったという。今になってようやく、自分の解釈を表明してもよいと思えるようになった。

残留派だったろうという結論は母親のメアリー(チャーチルの四女)が生前にこう言っていたことを思い出すからだという。チャーチルが「あれほどの苦労をして勝ち取った欧州の平和の維持にEUは欠かせない存在だわ」。

チャーチルの一連の欧州連合についての演説や発言の解釈については、現在も賛否両論あるようだが、現首相と次の首相になるかもしれない人物がともにチャーチルに自分なりに入れ込んでいる様子は非常に興味深い。チャーチルは畏怖する父ランドルフの亡霊に生涯つきまとわれたというが、チャーチル以降のイギリスの政治家たちもまた、重大な決断を下すにつけ、チャーチルという英雄を意識せざるを得ないようである。

小林恭子(こばやし・ぎんこ)
1958年生まれ。成城大学卒業後、米投資銀行勤務を経て、デイリー・ヨミウリ紙の記者を務める。2002年、渡英。ブログサイト「英国メディア・ウォッチ」を運営。著書に『英国メディア史』(中公選書)、『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、共訳書に『チャーチル・ファクター』(ボリス・ジョンソン著、プレジデント社)などがある。
(在英ジャーナリスト 小林恭子=文)
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