結婚当事者ではなく「司祭」になりたかった

親欧州と見なされる根拠となるのが1946年、チューリッヒでの演説だ。

「われわれはヨーロッパ合衆国なるものを作らなくてはなりません」
「ヨーロッパのすべての国がそれに加盟する意欲がなかったり、加盟が不可能な場合もあるでしょう。しかしそうでない国だけでも集結するべきです」
(『チャーチル・ファクター』より)

ジョンソンによれば、チャーチルはイギリスがこの組織に加盟するとは考えていなかったのではないか、という。

その理由はこうだ。チャーチルの世界観では、イギリスは欧州最強の「大国だった」。しかし、それはイギリスのグローバルな役割の限界を意味するものではなかった。チャーチルは統一欧州の誕生を望み、深い悲惨を味わった大陸に幸運な連合をもたらすことを助ける役割がイギリスにはあると信じていた。しかし、その役割は「立会人になること」だったとジョンソンはいう。

「教会の中にいることを望みはしたが、結婚の当事者としてではなく、先導役、あるいは司祭を務めるつもりだった」
(『チャーチル・ファクター』より)

ジョンソンは本書の中で、もしイギリスが欧州統合への動きの初期の段階に参加することができていたら、EUは「より民主的な存在になっていたのではないか」とも書いている。

1940年に首相に就任する前、チャーチルの保守党内での評判は芳しくなかった。ヒトラーによるドイツの脅威をひんぱんに発言していたチャーチルは政界やメディア界から「ほら吹き」「戦争屋」などと言われていた。そんなチャーチルは、戦争と言う一大事に首相に就任し、同盟国側の勝利への中心的人物となった。

ジャーナリストと議員と言う二足の草鞋を履いてきたジョンソンは自分をチャーチルと重ね合わせる。コメディ番組に出演して国民的な人気者となったジョンソンは、政治家として「変人」として受け止められている。しかし、「いざとなったら首相となり、イギリスを救う……」そんな夢を持ち続けている人物だ。