弘兼憲史の着眼点

▼「廃炉ビジネス」には未知数の可能性が

実は石崎さんとは彼が広報部にいた2001年からの付き合いです。

広報部長から福島第二原発所長になった後、何かの話の流れで突然、電話をしたことがありました。そのとき、彼は発電所の近隣住民の結婚式に出席されていた。それ以外にも、近所の方々の宴会に事あるごとに呼ばれているという話を聞いたこともあります。ずいぶんいい関係を築いているのだなと、思ったものです。

今回、石崎さんに福島第一原発の事故が起きてから、いまだに居住者が戻れない「帰還困難区域」を案内してもらいました。その家々を次々と指さして「あそこは誰それの家でした」と教えてくれました。そして石崎さんは「まだ帰れないんです……」と静かに付け加える。「福島に骨を埋める」と言い切った彼の言葉には重みがありました。

福島第一原発を取材して感じたのは「廃炉ビジネス」の可能性です。たとえば、人間が近づけないところがたくさんあって、ロボット技術を投入するなど、必要に迫られて技術革新が進むかもしれない。世界中には400以上の原子力発電所が動いていますが、いずれは廃炉にしなければなりません。こういう不幸な事故が起きたことで培ったノウハウで世界に貢献できる日を迎えるかもしれないのです。

「復興活動は福島の皆さんと実際に触れ合う中で考えなければならない。そういう活動を10年、20年と永続的につなげていくことが本当に責任を果たすことになるのだと思います」
▼原発を扱う資格が世の中から問われる

避難所などで被災者の方に「こんな事故を起こしても原子力発電所は必要なのですか」と訊ねられることもあるでしょう。そのようなときにどう答えているかを石崎さんに聞くと、彼はこう答えました。

「私自身は、今の日本にとって原子力は必要だと思っています。原発に代わる何かいい技術が存在するならば、そちらに切り替えてもいい。しかし、今すぐ、そうした技術は存在しないので、将来の電力の選択肢として原子力を捨ててしまうのはよくない。ただ、東京電力がそれを扱う資格があるかどうかを、今、世の中から問われていることは自覚しています」

そして、こうも付け加えました。

「今回のことで身に染みてわかったのは、原子力とは本当に途方もなく危険なものだということ。人間の知恵と科学の力で封じ込めて平和利用をする。それには技術力はもちろんだけれど、人格、信用がないと原子力を扱う資格があるとは認められない」

彼を端的に描写するならば、柔らかい物腰でありながら、とてつもなく強い芯のある男。誰に対しても、逃げずに言わねばならないことはきちんと言う。東京電力に石崎という男がいてよかったと思っているのです。

弘兼憲史(ひろかね・けんし)
1947年、山口県生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年『人間交差点』で第30回小学館漫画賞、91年『課長島耕作』で第15回講談社漫画賞、2003年『黄昏流星群』で日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年紫綬褒章受章。
(田崎健太=構成 門間新也=撮影)
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