こう振り返るのはジャーナリストの二木啓孝氏。その金丸信氏が1993年に脱税容疑で逮捕される。

ジャーナリスト 二木啓孝氏●1949年、鹿児島県生まれ。「日刊ゲンダイ」ニュース編集部長を経て、現在BS11(日本BS放送)取締役編成局長兼制作局管掌。

「前年に5億円闇献金事件が発覚したのに、金丸さんは20万円の罰金で済んだ。検察の威信は地に墜ちたと批判されたことから、当時の五十嵐紀男特捜部長と主任検事の熊崎勝彦さん、今のプロ野球コミッショナーですね。この2人が奮起し、国税と組んで金丸さんのカネの出入りを徹底的に洗ったんです。それで5億円をワリシン(割引金融債)に替えて隠し持っていることがわかった。熊崎さんがキャピタルホテルに金丸さんを呼び出して『脱税で逮捕します』と告げたら、向こうは数十秒固まったそうです」(二木氏)

「小選挙区制」と「政党助成金」が導入された95年が潮の変わり目だったと二木氏は指摘する。

「かつて自民党に5大派閥があったのは中選挙区制の最大定数が5だったから。派閥の力がないと選挙で通らなかった。『政治とカネ』の原動力は派閥だったんです。しかしすべて一人区の小選挙区制に変わって、公認権は党が握るようになり、相対的に派閥の力が弱まったわけです」(二木氏)

カネを贈る側の企業サイドも時代とともに変わった。右肩上がりの時代には自民党に献金することで業界に大きな見返りがあった。しかしバブル崩壊後は見返りがぐっと減って、当局に叩かれるリスクのほうが大きくなり、裏金を渡す側も相当懲りたという。

一方で、制度導入にあたり直接のきっかけになったのが、2007年に起きた「消えた年金記録問題」だ。およそ5000万件もの年金の納付記録が行方不明になり、世論は政権与党の自民党を猛烈に非難。同年7月の参議院選挙で自民党は大敗を喫し、安倍晋三首相は辞意を表明した。その後、09年に政権を握った民主党政権は、「共通の番号制度を導入する」ことをマニフェストに掲げ、マイナンバー法までの基盤を築き上げた。