全国で林業を支援、無花粉スギ植林へ

2010年4月に社長になったとき、胸の中の引き出しには、いくつも夢や課題が詰まっていた。就任3年目、その夢の実現や課題の解決へ、一気に動き出す。

まず、奈良県十津川村と、コンサルティング契約を結ぶ。十津川村は面積の96%が森林で、山が深く、急斜面も多いから、森林資源を十分に活用できずにいた。そこで、森林組合の製材工場の経営支援を請け負う。林道の整備を手伝い、木材の生産から加工、流通や販売まで一貫して手がける「林業の六次産業化」を後押しする。

契約は、北海道下川町や岡山県真庭市とも結んだ。航空写真と空からのレーザー測量を組み合わせ、生育する木の種類や林齢、高さや本数などを数値でとらえ、地図情報と合わせて、伐採計画の策定や林道整備に活用中だ。

全国の森林を持つ地域では、国や自治体の支援で、多くの製材工場が建設された。だが、経営の管理が煩雑で、行き詰っている。社有林の管理で蓄積してきたノウハウを提供し、それらを再生させ、次の世紀につなぎたい。その思いが、さらに広がっていく。

「男兒欲爲千秋計」(男兒は千秋の爲に計らんと欲す)――立派な男子であれば、永遠の大計を立てようと志すべきだ、との意味だ。中国・清の詩人の袁えん枚ばいの言葉で、物事の向上には短期的な策だけでなく、長期的な発想や取り組みが大切だ、と説く。森林の活用や再生に「100年の計」を念頭に置く市川流は、この教えと重なる。

よく知られることだが、住友林業の源流は、1691年に開坑した愛媛県・別子銅山で、坑道を支える坑木や銅の精錬に使う薪や炭の材料を供給したことに始まる。伐採のいき過ぎや鉱山からの煙害で、19世紀末には周辺の森林が荒廃したが、ときの支配人の伊庭貞剛が再生に大造林計画に着手。多いときには年100万本を超える植林を重ね、甦らせた。

木の素晴らしさを守る「爲千秋計」には、この植林が不可欠だ。でも、苗木が全く足りない。全国で、植林を支援したい。その思いも、若いときから胸中にあった。

やはり社長就任から3年目、宮崎県日向市で、スギの苗木の育成を始めた。いま、約20万本の規模。独自の技術で、培土を入れた専用の容器で、土付きの「コンテナ苗」もつくっている。従来の土なし苗と違い、年間を通して植栽が可能で、作業も楽になった。

翌年には、岐阜県が公募した苗木の安定確保事業に採用され、昨春に協定書を締結した。育種地の造成から始め、初年度は約5万本を植えた。3年後には多様な品種で20万本とし、無花粉のスギも植える。2023年には年100万本規模とする目標で、育った木は伐って県内で販売する計画だ。

2041年は創業350周年。そのころには世界一の森林会社になりたい、が口癖となった。木材の世界は、周期が長い。「爲千秋計」に、終わりはない。

住友林業社長 市川 晃(いちかわ・あきら)
1954年、兵庫県生まれ。78年関西学院大学経済学部卒業、住友林業入社。89年シアトル出張所課長補佐、95年海外部次長(アムステルダム駐在)、96年シアトル出張所長、2002年国際事業部長、07年執行役員経営企画部長、08年取締役常務執行役員。10年より現職。
(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
【関連記事】
「現場の“座標軸”」住友林業 矢野龍社長【1】
海外進出は自前で展開するべきか。現地企業と組むべきか
『住友の大番頭・伊庭貞剛』
なぜ「グローバル人材」は地頭のよさが必要なのか
「ガラパゴス化」で世界に勝つ2つの道