95年1月、アムステルダムに赴任した。欧州の製材工場は、森林が広がるスカンディナビア半島と、アルプスからドイツ、ロシアへかけての森林地帯に多い。アムスは木材の集荷地ではないが、双方の中間で、空の便もいい。

欧州の木は太くなく、柱の一本取りが難しい。でも、節が小さくて、みためがきれいだ。繊維の方向を平行にして、接着剤でまとめる集成材の技術も、進んでいた。日本に送れば、すぐに柱となる。

ただ、つくらせてみると、曲がっていたり、ねじれていたり。品質の改善を求めると、「ここではこれで十分、要求は過剰品質」と反論する。もちろん、妥協はできない。しかも、欧州からは長期的に買い付けたい、と考えていた。本社から日本家屋の写真や図面などを取り寄せ、みせて説明し、ようやく納得させる。いま、日本建築の柱は大半が欧州産の集成材。どの日本企業も、ほぼ最終製品の形で輸入している。その流れを、このときにつくった。やはり、長期的な視点が大事だ。

入社以来、様々な木と触れて、日本への輸入を手がけ、40代から住宅事業を指揮するにつれ、木の重要さを痛感した。触れば、同じ表面温度の石材や金属のように「ひやり」とはせず、温もりがある。しかも、成長するときに二酸化炭素を吸収して炭素を固定し、酸素を出す。伐って使っても、炭素を中に固定し、燃やしたり腐らせたりしない限り、外には出てこない。仮に燃やしても、出てくるのは、自ら吸った炭素の分だけ。そして、伐った後に植林すれば、また炭素をためてくれ、地球温暖化の防止に貢献する。上手に管理すれば、循環は未来へと続く。まさに「百年の計」の世界だ。

ただ、日本の林業は、難しい時代を迎えている。第二次世界大戦時に燃料不足から伐採が進み、戦後の復興にも伐り出した。森林が大幅に減り、戦後はとにかく成長の速いスギを植えた。それが、花粉症を増大させている。この間、防火・防災の点から公共建築物は木造にせず、学校も鉄筋コンクリート建てばかり。並行して、木造の建築技術も衰えた。いま、戦後70年がたち、植林した木々を、いよいよ伐る時期がきた。でも、長らく伐り出していなかったので、多くの林道が消失している。