難関試験に合格、この職業で生きていきたい

転職したのが、世田谷区の司法書士事務所(司法書士・行政書士 小林孝事務所)だった。当時、職員は、所長を含めると6人。

「まずは、3年間、仕事をしてみて、適性があるか否かを確かめようとしました。適性があるならば、司法書士の資格試験の勉強をはじめようと思っていたのです。司法書士として生きていくのが今は難しいといわれ、試験を受けることをためらう人がいます。私は迷うよりもまず、その世界に飛び込んでみることが大切だと思うのです。仕事をしていくうちに、様々なものを学んでいくものです」

事務所では、1人の職員が年間で約1000件の書類をつくることになっていた。基本的な書類から、難易度の高い書類までの作成を順調にマスターした。所長などから高い評価を受け、当初の給料(基本給)が倍近くになる。2年半が経った頃、秋山さんは、司法書士になるための勉強をはじめた。

「自分に向いている、と感じたのです。所長をはじめ、職員の方たちによくしていただきました。この職業で生きていきたい、と強く思うようになったのです」

昼は事務所で仕事をして、夜、自宅で勉強をする日々を続け、2004年合格。法曹界では、司法試験と並び、「難関」といわれる試験だ。試験当日は、目から血を流し、ハンカチでぬぐいながらの受験のときもあった。高校の頃に網膜剥離となり、目を酷使すると、繰り返すようになっていた。

「試験勉強のときは、長い時間、勉強をすることを避け、効率よく覚えようとしました。適度な休憩もとるようにしていました。一時期、網膜剥離の症状が悪化し、事務所を休業せざるを得なくなったこともあるのです。所長たちには、本当によくしていただき、今でも感謝しています」