このときまでには、キリンとして仙台工場を閉鎖させないという大枠は決めていた。新任工場長にとって、重要な仕事の一つは、従業員や関係会社にそのことを伝えることだった。

すべて手作業で回収した。

すべて手作業で回収した。

被災したこの工場を、立ち上げていく。つまりは工場を閉鎖しない、雇用を維持するということを。3月21日から清掃片づけ作業は始まっていたが、多くの社員は自宅待機を余儀なくされている。伝えることで、従業員をはじめとする工場関係者が抱いた不安を解消させることが、何より大切だった。

「でなければ、次のステップに踏み出せない」と横田は考えていた。

「従業員のなかでも期間社員、さらには協力会社の人たちのほうが、雇用に対する不安は大きかったと思います。本社の決定により、早い段階で不安を解消させてあげられたのは大きい」

ちなみに、期間社員は約90人、工場に出入りの協力会社社員は約200人に及ぶ。

少子高齢化の影響から、ビール類の国内消費量は減っている。しかも、最近では日本の大手流通を中心に韓国からPB(プライベートブランド)の「第3のビール」を輸入。円高ウオン安による低価格が受けて売れている。韓国製を入れると、10年の国内消費は09年と同等かそれ以上だったと見られているが、新たな脅威となっているのだ。

94年当時キリンは15工場あったが、現在は9工場体制となっている。10年も2工場を閉鎖したばかり。仙台工場はキリン全体の7%を生産する主力だが、地震と津波で大破してしまっていたのだ。

震災後、被災地は無法地帯の様相を呈していた。仙台工場も盗難の被害にあう。トラックで侵入し、散乱した缶ビールを荷台に満載して帰っていった。悔しいが、どうすることもできない。