車座は、年齢、所属、役職、さらには正社員かどうかといった区別を超えていた。工場見学者を案内する女性、設備を保守するエンジニア、工場長、協力会社に所属するフォークリフトの達人、醸造技師、パート事務の女性。3月11日以前は、それぞれに制服を着て、各自の仕事をしていた。それがいまは、同じタイプの作業着を着て、ヘルメットを被りマスクや軍手をして、津波により散乱してしまった缶ビールを拾い集めているのだ。みんなで。散乱した缶ビールは約1700万本に及び、パレットやビールケース、土砂、海草なども散らばっていた。

地震による揺れで貯酒タンク4本が倒れた現場。
写真を拡大
地震による揺れで貯酒タンク4本が倒れた現場。

さらに、ビール工場のシンボルでもある貯酒タンクが4本、倒壊している。

「仕事の役割が厳格に決まり、役割で報酬が決まる海外企業では、みんなが一緒に缶ビール拾いをするなど考えられない。やはり愛社精神が発揮される終身雇用のよさが出た」

ゆで卵を味わいながら、横田はみなの笑顔に癒やされ勇気づけられていた。

横田は1961年2月生まれ。岡山県出身で、東京工業大学工学部化学工学科を卒業して84年に入社した。醸造畑が長く、全国の工場を渡り歩いてきた。このほか、5年ほど前には、西オーストラリア州にあった23人ほどの製造子会社で社長を経験している。

3月11日、横田は仙台にいたが、この日はまだ、本社の生産統括部主幹の肩書。3月29日に仙台工場長の就任が内定していて、引き継ぎのため仙台にやってきていた。工場長に就くのは、初めての経験でもあった。

震災まで予想したわけではないが、横田は極めて重要な場面での工場長初登板となったのだ。工場長経験がある社長の松沢幸一は、被災した仙台に赴任する横田に言った。

「工場長の後ろには、誰もいない」と。工場に関係する全員が工場長の一挙手一投足を見るようになるのだ。まして、未曾有の災害の直後である。新任であっても、横田は自分が工場長であることを意識せざるをえなかった。