鎌倉時代から続く規制と欲望の攻防史

【1193年】源頼朝が遊女取り締まりのため、里見義成に遊女別当を命じる。

【1585年】豊臣秀吉が「人心鎮撫の策」として遊女屋を積極的に認める。

【1617年】徳川幕府が庄司甚右衛門に「葭原(吉原)遊郭」の設置を許可。

私娼は禁止だが宿場の旅籠では「飯盛女」による売春があった。

【1859年】横浜に外国人相手の「港崎遊郭」ができる。

【1873年】公娼婦取締規則施行。後に取締権限は各地方長官に移される。

【1945年】終戦。「パンパン」と呼ばれる売春婦が全国に7万~8万人。

【1947年】東京・新宿の帝都座で「名画アルバム」と題する初のストリップ。

【1951年】東京・東銀座にトルコ風呂「東京温泉」が開店。1984年、トルコ人留学生の訴えにより「ソープランド」に改称。

【1958年】売春防止法により、赤線内の「カフェー」などが一斉に廃業。

【1963年】東京オリンピック開催を控え、風俗営業の取り締まり強化。

【1969年】家電各社が統一「U規格」によるVTRを販売。市販ソフトの9割はポルノ作品。

【1975年】古書店がグラビア雑誌をビニール包装し販売。ビニ本の先駆け。

【1978年】京都・西賀茂に「ノーパン喫茶」登場。全国の繁華街に広まる。

【1984年】風営法改正。「のぞき部屋」や「ファッションマッサージ」が届出対象になる。

【1985年】東京・新宿などに「テレクラ」急増。都内だけで100軒以上営業。

【1990年】東京、名古屋、京都、神戸、大阪などに「ブルセラショップ」出現。

【1991年】村上龍『トパーズ』のヒット等により「SM」がファッションに。

学生がバイト感覚で風俗に応募する時代に 首都圏のコンビニや書店で販売された高収入アルバイト情報誌「てぃんくる」(1992年創刊)。風俗店への応募のハードルが格段に下がった。

【1992年】女性向け高収入アルバイト情報誌「てぃんくる」が創刊される。

【1999年】警視庁が啓発ビデオ『ガラスの青春 援助交際の悲劇』を制作、都内の中学高校に配布した。

【2008年】暴対法改正。暴力団が風俗店から手を引き、参入障壁が下がる。IT企業等の風俗参入が相次ぐ。

【2009年】「リーマン・ショック」の影響で、風俗で働く一般女性が急増。

(編集=渡辺一朗 構成=奥田由意)
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