父の多角化事業を次々と分離・売却

本部にはマーケティング室の「課長」として戻る。部下は、また例の東大出と京大出の2人だけ。「何か付加価値が高く、100億円規模になる新製品を考えろ」とハッパをかけると、ビタミンB1の強化米「ポリライス」を担当していた東大出が「こんなものがある」と「ポリライス」よりさらにビタミンの種類を増やした見本を持ってきた。

即座に気に入り、「新しい時代の玄米」と武田信玄をひっかけて「新玄」と命名する。価格も社内の「常識」の数倍に設定。武田の新たな収益源に育てようと狙い、「ポリライス」が一番出ていた青森と九州で発売する計画を立てた。だが、部長がOKを出さない。彼の部隊は「ポリライス」で利益を出していた。もし「新玄」に食われたら、立場がなくなる。「淡路島でなら、やってもいい」としか言わないので、ともかく島を訪ねた。だが、米の販売業者の規模が小さすぎて無理だった。帰宅すると、偶然、便所で父と一緒になる。ふと、「新玄をやらんと、武田の損や」と口に出た。すると、翌日、部長の態度が豹変する。父が「やらせてみよう」と思ってくれたらしい。

消費者の米離れが進むなか、健康志向を掲げ、福岡で売り出した「新玄」は、当たった。満41歳。のちに飛躍の源泉となる「傍流時代の体験」が蓄積されていく。

「公正」「正直」「不屈」を骨子とする「タケダイズム」は、1940年頃に明文化された「規のり」に拠る。祖父・5代目武田長兵衛が定めたものだ。
「公正」「正直」「不屈」を骨子とする「タケダイズム」は、1940年頃に明文化された「規のり」に拠る。祖父・5代目武田長兵衛が定めたものだ。

93年6月に社長となり、進めた経営改革で最も激しい抵抗を受けたのが、父が多角化した事業の分離や売却だった。動物用医薬品、ビタミン粉末、農薬、化学、そして古巣である食品も捨て、医薬品への集中に邁進した。取締役の数も社員も減らした。厳しい取捨選択だ。

元を立国したモンゴル帝国のチンギス・ハンの重臣で、漢民族の影響が強くある中国大陸の支配に策を練った耶律楚材(やりつそざい)に「一利を興すは一害を除くに如かず。一事を生むは一事を減らすに如かず」との言葉がある。「一つの利益を得ることは、一つの害を除くことには及ばない。一つのことを始めることは、一つのことをやめてなくすことには及ばない」という意味だ。武田流の改革は、まさに、この実践だった。

もちろん、人の子だから、従業員には好かれたい。だが、「組織の運営を任された人間がいい恰好をし、言葉を飾り始めたら、ろくでもないことが始まる」と自戒を続け、駆け抜ける。9年目の02年3月期、連結売上高が初めて1兆円を超えた。純利益は2356億円。売上高は日本一のトヨタ自動車の15分の1でも、利益は4割近い高水準だった。

改革の効果はいまなお続き、自動車や電機のメーカーの大苦戦が続くなか、武田はこの3月期決算で、減益であっても1900億円の最終利益を計上。ゲーム機で好調な任天堂と「国内製造業で利益トップ」を競う。30代から40代にかけて「伏すこと久しき者」だったが、「飛ぶこと必ず高し」を体現した。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)