駐米生活は「007」顔負け

<strong>野副州旦</strong>●のぞえ・くにあき<br>1947年、福岡県生まれ。71年早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業後、富士通に入社。2001年6月常務理事、05年10月常務、07年6月上席常務、08年4月副社長、08年6月より現職。歴代13人目の社長にして初の海外勤務経験者。89年より米国に駐在し、駐在期間は計約10年。日米貿易摩擦交渉などを担当した。愛犬を連れての毎晩の散歩が日課。
富士通社長
野副州旦
(のぞえ・くにあき)
1947年、福岡県生まれ。71年早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業後、富士通に入社。2001年6月常務理事、05年10月常務、07年6月上席常務、08年4月副社長、08年6月より現職。歴代13人目の社長にして初の海外勤務経験者。89年より米国に駐在し、駐在期間は計約10年。日米貿易摩擦交渉などを担当した。愛犬を連れての毎晩の散歩が日課。

1989年6月、米国の首都・ワシントンに富士通事務所を開設し、初代の所長となる。米国勤務は二度目。70年代後半のニューヨーク駐在では、最大の競争相手であるIBMの動向を探るのが仕事だった。それも難しい役だったが、今回はさらに厳しい環境下に置かれていた。

日米間で、貿易摩擦が激化していたのだ。IT業界も半導体摩擦に見舞われ、米国にはダンピング関税など報復措置の動きが強まっていた。さらに、富士通は米国にスーパーコンピューターを売り込んだことで、より強い逆風を受けていた。