自分と「同い年」で没した信長・漱石

織田信長が「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり……」という謡曲を好んで謡い、その言葉とおり50歳になる直前、本能寺で死んだことは知っていましたが、それ以外にも聖徳太子や上杉謙信は48歳、夏目漱石は49歳、松尾芭蕉は50歳で亡くなっています。

49歳になり、若干の衰えは感じつつも、とりあえずピンピンしている自分と比較し、「意外に若死にしているんだな」と思うわけです。

とくに驚いたのは夏目漱石でした。

享年49の夏目漱石

漱石の作品を読むようになったのは小学生時代で『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』を読んだ記憶があります。読むと同時に、一時期1000円札に採用された、あの肖像写真も見ているわけです。小学生の目からは、あの口髭をたくわえた堂々たる姿は"おじいさん"に見えました。

その後、成人した後にも漱石の作品は読みましたが、そのイメージを引きずったまま来たわけです。ところが一覧表に入れるために調べてみると享年は49。

「エッ、今のオレと同じ年で亡くなったの?」

と驚き、自分の風貌を鏡に映し、あの肖像写真にある貫禄がまったくないことに愕然としたわけです(自分が50歳前後になって、あの写真をじっくり見ると、意外に若い感じもするようになりましたが)。

同様の驚きは吉田松陰の享年を知った時もありました。歴史をしっかり学んでいれば、こんな錯覚を起こすはずはないのですが、高杉晋作、伊藤博文など明治維新の原動力となった偉人を多数輩出した松下村塾の指導者というイメージ、それにやけに老けた感じに描かれている肖像画の印象がプラスされ、幕府によって死刑に処されたのは中年以降と勝手に思い込んでいました。

ところが享年は29。

「そんなに若かったの!?」という驚きを覚えるとともに、その29年間という限られた時間で、外圧にさらされている日本の行く末を憂い、それに対抗すべき人材を育てたこと、外国に学ぶためにロシア軍艦に乗せてもらおうとしたり、ペリーの艦船で密航を企てたりした行動力をすごい! と心底思うわけです。